なにか、いいこと Somethingood みとの日記

日々考えたことを綴っています。

20年来握りしめていた人生訓から自由になった話。

大学受験で、とあることが原因で失敗した、と思っていた。思い込んでいた。

 

大学受験の二次試験、理科が最後の教科だった。
私は生物と化学を選択していて、2時間の間に生物と化学を解くという形だった。
私はいつも、生物を1時間解いた後に、化学を1時間で解く、という形にしていた。
生物はある程度気持ちに余裕を持って、化学は時間的プレッシャーをかけながら集中してうわーっと解くのが向いている、と思っていた。

 

ところが、試験当日、私は何を間違ったか、いつもとは逆に、化学を先に解いて、生物を解くという順番にしてしまった。
そしたら、なんか調子が狂ってしまって、うまく解けなかったように感じた。

 

そして、私は第一志望の学科には受からなかったのだった。第二志望の学科にひっかかったのであった。


こういうことがあったので、私は

「いつもやりなれないことを本番でやると失敗する」

という人生訓を握りしめて生きてきた。

 

でも、なんか昨日寝てるときに、気づいたのだ。突然。
別に、第一志望に受からなかったのは、この理科のせいでなないのではないか、と。
もしかすると理科のせい、かもしれないが、違ったかもしれない。
あるいは、理科のせいで点が伸びなかったけど、影響は小さかったかもしれない。

 

確かに、解く順番を変えて調子が狂ったのは本当だ。
でも、それが本当に点に影響したのか。それは、二次試験の点が公表されてないからわからない。
いや、むしろセンター試験で配点の高い社会で大失敗したことが主な原因なんじゃないのか。
どうして、センター試験の社会で失敗したことは、第一志望の学科に受からなかった原因だと私は認識してなかったんだろうか。

 

事実から正しく判断できることは、
「いつもやりなれないことを本番でやると失敗する」
ではなくて、
「いつもやりなれないことを本番でやると調子が狂う」
ではなかったのか。

 

どうして私はこのように考えていたのか。
こう考えることによって、当時の私にはなにかメリットがあったのかもしれない。

 

でも、20年ほどの時を経て今、
「いつもやりなれないことを本番でやると失敗する」
は、そこまで握りしめて信じていなければならない人生訓ではないのではないか、と思うに至った。

 

ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、自由になった気がした。