なにか、いいこと Somethingood みとの日記

日々考えたことを綴っています。

ひろさちやの笑って死ぬヒント ひろさちや 感想

※2018年3月に書いた記事だったんですが、なんか公開しそびれてたことに気づいたので、公開します。

 

図書館で借りた本。

これ、すごくおもしろかったです。

絶版かー、中古で買おうかな・・・

 これを読んで、私は、なんでもいいから何か信仰しようかと思いました(笑)

不安に怯える人間に対し、神は、仏は、なんと寛容なのだろうかと。

 

ただ、私は飽きっぽいので、ほんとに団体に入ると辞めるのが大変だから、

宗教を学んで自分に取り入れたいところだけ取り入れる、というようにしよう。

 

さて、この本の印象に残ったところなんですが、

未来のことは誰にもわかりません。

努力して成功するときもあれば、いくら努力しても失敗することもある。人生とはそういうものだという当たり前のことを、宗教心に欠ける日本人はわかっていないのです。

 

いやそうなんだよ!!(笑)

それが宗教心に欠けるからだ、とは思っていなかったけど、

この「人間努力主義」の行き過ぎた日本が嫌いです。私は。

これに対しひろさちやさんは、「神下駄主義」を唱えてらっしゃいます。

神とか仏とかに、下駄を預ける主義です。おまかせしちゃうのです。

 

この本で、イスラム教の「インシャラー」という言葉が出てきました。「アッラーの御心のままに」「神の御心であれば」という意味だそうです。

未来のことをいイスラム教徒が語る際には、必ず「インシャラー(神の御心があれば、神の思し召しであれば)これこれをします」という言い方をしなければならないそうです。

なぜか。

未来はすべて神の権限下にある。そしてわたしたち人間には未来に対する一切の権限がないというのが、イスラム教徒の基本的な考え方だから、だそうです。

 

最初、めんどくさいなイスラム教徒(笑)と思ったのですが、

読み進めると、こんなに優しい社会はない、と思いました。

ひろさちやさんが、パキスタンのホテルに、「明日八時に迎えに来てくれ」とガイドに

頼んだところ、「分かった、インシャッラー」と言ったそうです。

で、ガイドは十時にやってきました(笑)

で、ひろさちやさんが怒ったら、彼は「あなたに怒る権利はない」と。

「私は昨日、インシャラーと言ってあるじゃないか。神様が望んでおられたら八時に来た。でも、教は神様が望んでおられなかったんだ。あきらめろ」

だそうですよ!!

 

翻って私の話。

私は締切厳守のしごとをしているんです。

で、この仕事をしながら思うんです。いやだなあ、と。

何が嫌なんだろうと考えてみたら、「締切が守れなくて怒られるのが嫌」なんです。

だから、できるだけ仕事を請け負いたくないとすら思っている。

周りからは、仕事をあまりしない、ナマケモノだと思われてるかもしれません。

でも、そういうことじゃないんだよなぁ。

 

日本は「人間努力主義」だから、締切が守られなかったら、それは仕事を請け負った私のせい。私が悪い。そうなっちゃう。
だから、悪くない私であるために、あまり仕事を請け負わない。なのです。

でももし、「インシャッラー」って言ってもいいって言われたら、もっと仕事するかも。
だいたいが、自分の努力でもどうしようもないことって多々あるのに、「仕事は必ずやる、それが当然」とされている社会。

地震とか。もっと頻度高いやつなら、子供の発熱とか。
本当に、この人間努力主義の社会はつらい。

イスラムの社会って、なんて優しいんだろう。

 

私は常々、「働きたくない」「責任を取りたくない」と思っていて、
それをちょっと恥じたりもしていたのだけれども、
むしろ、「自分ではどうしようもないことがある」という真理が見えていて、その現実に対応するためにそういうことを思っている・・・


という面もあるかもしれない。