なにか、いいこと Somethingood みとの日記

日々考えたことを綴っています。

全ての人・物に丁寧に接して愛を示したい。マザー・テレサ「生命あるすべてのものに」「愛と祈りのことば」を読んでみた。

城ノ石ゆかりさんの4nessコーピングが好きでして、

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この城ノ石ゆかりさんの「自己紹介」にいつも出てくる
マザー・テレサ」ってそういえばどんな人だったんだろう、と思い、
マザー・テレサについての2冊を読みました。

 

生命あるすべてのものに (講談社現代新書)

生命あるすべてのものに (講談社現代新書)

 

 こちらは、来日したときの講演の内容をまとめたものです。
大体どこに行ってもぶれずに同じことをおっしゃっているので、かなり繰り返しが多いです。
そして、当時多分一番伝えたかったことが
「中絶は絶対にいけません。中絶を禁止する法律を作って下さい。」
だったみたいで、そのことを、なんだかずいぶん繰り返し述べておられました。。

 

中絶を禁止してしまうと、それはそれで問題がいっぱいあるよね・・・とも思ったのですが、
「中絶は殺人だからいけないことだ」という意見に、「いやそんなことはない!中絶全然OK!」って言えるほどの自信もなく、
「いやー、避けたほうがいいのは確かだけど、まあ他にどうしようもなくなったらそれも仕方ないんじゃないでしょうかねえ・・・」という歯切れの悪い感じになるのが正直なところです。

 

マザー・テレサのすごいと思ったところは、
中絶禁止を訴えると同時に、
「望まない妊娠をして苦しんでいる女性や、育てられなくなった子どもは私達のシスターのところへ預けて下さい。」
ということも同時に訴えておられるのです。
中絶ができないことで困る女性と子どものサポートの提供を確約した上で、中絶反対の立場をとっておられる。

 

これが、単に中絶を禁止するだけして、あとは女性の自己責任、となってしまうと様々な問題が出てくるのは自明です。
サポートを提供する確固たる意思のある方がおっしゃる「中絶禁止」は、とても重みがあると思いました。

 

マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫)

マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫)

 

 こちらは、マザー・テレサが折々に残した言葉を集めたものです。
こちらのほうが、マザー・テレサの思想を知るにはよいかと思いました。

 

私はカトリックの信仰がないので、わからないところも多いのかもしれないんですが、
カトリックというのはとにかく、神と、神の兄弟であるイエスと我々へ、いかにして愛を示していくかということが問われている信仰なのかなと理解しました。
カトリックの神なのかは置いておいても、
日本でも「神様の分け御霊」とか言われるし、
なんか多分人間には、「光」と呼ぶのかなんと呼ぶのかはさておき、共通の神聖なものがある、ような気はしているので、
そういうことにして理解することにしました。

 

感想は主に2つ。


1.全ての人や物に対して、神に接するように接しようと思った。


マザー・テレサは、貧者の中に神やイエスを見て、貧者=イエスなので、イエスに接するように貧者に接しておられ、
常にそのようにされていました。
なるほど確かに、全ての人は神の子なのであるから、神に接するように全ての人に接しなければならないんだなあ・・・

 

と考えていて、ふと思ったのは、母に対する私への接し方と、私の子に対する接し方。
私の母は、雑でして(笑)、なんかその雑さが気恥ずかしいのをちょっとはぐらかすように、
若干わざと?乱雑に、例えば私の髪の毛をとかしたり、顔を拭いたりしていたような記憶があるのです。
全然、悪気とかある感じじゃないんだけど、でも丁寧に尊重されているという「態度」ではなかったよなあと思うのです。


そして私の子に対する接し方。
・・・全然丁寧に尊重している感じじゃない・・・
別に邪険に扱っている覚えもないけれど、やっぱり少し雑というか、心がこもってないこともあるし、気恥ずかしくて雑に扱うみたいなところもある。

 

でも、子どもにしてみれば、心がどうであれ、「態度」が自分を尊重してくれてないっていうメッセージを与えてしまうだろうなと思ったのです。

 

ちょっと思い出したのが、脱線するけれども、NHK認知症特集でやってた「ユマニチュード」。

NHKスペシャル「認知症を食い止めろ」ユマニチュードと「触れる」介護法

www.youtube.com


ユマニチュードは、イヴ・ジネストさんとおっしゃるフランス人が提唱したもの。
介護現場で提唱されている介護に対する態度で、
見つめる(見下ろすのではなく、見上げる)
話しかける(ケアの実況中継をする)
触れる(つかまない)
ということに気をつけることで、
「どんな状態にあろうとも、あなたは人間である」と伝え続けるのが、ユマニチュードの哲学なんだそうです。


そのように接することによって、認知症の方に笑顔が戻ったり、おだやかになったりして、幸せが向上して、介護の面からいえば介護しやすくなったりするのだそうです。

 

これを学んだ方の感想で「わかっているけど、できてない」というものがありました。
・・・すごいわかる。わかってるけど、ついやってしまう。
腕をいきなり掴まれたらびっくりするだろうに、時間がないから焦って掴んでしまう。

愛を示す態度、というものが大事なんだろうなと、いろいろ脱線しましたが思ったのでした。

 

子どもに対して、その他の周りの人に対して、丁寧に接したいと思いました。

 

2.「痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与え尽くして下さい」とはどの程度なら許されるんだろう。


自分で独り占めにせず、分け与えるほうがいい、ような気はするのです。
でも、「痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与え尽くして下さい」となると、でもやっぱり自分の身を守らないと?と思うのです。

 

この本の訳者さんは、渡辺和子さんです。この方は、「置かれた場所で咲きなさい」を書いた方です。

 

この本に対するアンチテーゼとして、イケダハヤトさんが、「そんなの過労死する思想だ。ブラック企業からは早く逃げろ!」というメッセージを出されています。

(別に本を批判されているわけではありません。)

 

www.ikedahayato.com

 

「置かれた場所で咲く」ことも大事。
でも、やっぱり、自分の身を守るために、「置かれた場所から逃げる」「ある程度自分のものはとっておいて、余剰分を与える」
ことも大事なように思うのです。


このへんはカトリック的にはどのように落とし所を考えているのだろう。

 

この落とし所は、私もよくわからないのです。
会社をやめたいけどやめられない人の中には、この落とし所がうまくつけられなくてずるずるい続けてるって人もいるんじゃないかと。

ブラック企業じゃなくても、

「なんか、飽きたから辞めたいって人としてどうなのかなぁ。成長しないのかなぁ。」とか。


自分でも、「あのとき、会社を辞めたのは、いい落とし所だったのか、それとも単なる逃げだったのか」という自問自答の結着がつかないまま。

 

この落とし所の付け方に、私の興味は尽きません。