なにか、いいこと somethingoodの日記

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安積力也 「教育の力」 感想

 前回、安積力也さんという方の番組の感想を書いたのですが、

 

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この安積力也さんという方のお人柄にもっと触れたいなと思い、

なにか書籍はないものかと探したところ、一応あったのですが、

教育の力―『教育基本法』改定下で、なおも貫きうるもの (岩波ブックレット)

教育の力―『教育基本法』改定下で、なおも貫きうるもの (岩波ブックレット)

 

 もう絶版になっていて、バカ高い(笑)

 

ので、図書館に行って借りて読みました。

 

心に残った部分を、ちょっと長いのですが、引用をさせていただきます。

待つ力。子どもを信じて、耐えて、じっと「待つ」力です。それを親も私たち教師も、急速に失いつつある。いや、そのことに気づかないほどに、急激に失いつつある。そう感じます。

(中略)

何か、みずからの「存在そのものが脅かされる」ような恐れを、実は誰もが心の奥で感じている。私たち大人自身が、どこにも信じるに足るものが見出せなくなってしまったような底なしの不安を覚えながら、生きているわけです。

問題は、この私たち大人の側の不安や不信が、子どもたちにどう反映しているかです。不信と不安に支配された心は、「待つ力」を失っています。信じる力がなければ、人はマテません。外目には見えなくても子どもに内在するものを信じる力、それがなければ、私達は、子どもを待てない。早く、目に見える結果を出そうとするしかない。

しかしそれは、主観的にはどんなに「子どものために」と思ってやっていても、実は、大人の側の不安を少しでも軽くするための子育てになってしまう。本当は親や教師が、自分で耐えて負わなければならない自分自身の不安や恐れや焦りを、子どもに負わせてしまっていると見えてしまう場合が多いのです。

 

前回のこころの時代で安積さんがおっしゃっていたこととだぶるところがあるのですが、

最近私は、自分の子育てで、この「待つ」力というののたりなさを実感していたのです。

 

ほんとに卑近な例で恐縮なのですが、

子どもがなかなかトイレに行ってくれないのですね(笑)

おもらししても平然な顔をしている。もう4歳もなかばだというのに。

おもらしされると、まあ親が面倒なのですよね・・・

 

それで、早くトイレに行けるようになってほしい、もう4歳半なんだからとか思うのだけど、

でもきっと、子供の側としては「準備」ができていないんです。

身体の準備と、心の準備と。なんかきっと、回路が「カチッ」と接続されるときがくるんだと思うんです。

だから、怒鳴ったって、言い聞かせたって、徒労になるだけで、

結局のところは待つしか無い。

 

発達には順序性がある、ともこの本に書かれていました。

どんなに花を早く咲かせようとしても、ちゃんと準備ができていなければ、花は咲かない。

準備ができるようになるまで、結局は「待つ」しかないのだと。

 

でも、待つって難しいです。

生産性生産性とかいうこの世の中で、

子供の成長を、ただ「待つ」って、本当に難しいです。

子どもにそんなに手をかける必要はない、待ってる暇があったら主婦は働けとか言われちゃうのです(笑)

教師だって、本当は「待つ」必要があるのに、

きっと待つほどの時間が現職の教員の方々にはないと思います。

 

私は、生産性をめっちゃ上げていく!みたいな方向には適性がない人間だと思っています。

ストレングスファインダーの結果もこんなでしたし・・・(笑)

 

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でも、そんな私でも、心がけたら、「待つ」ことならできるかもしれない。

自分に何ができるのかわかりませんが、

「待つ」ことのできる自分でありたいと思いました。