なにか、いいこと Somethingood みとの日記

日々考えたことを綴っています。

無意識にやってた「あるべき姿」と自分との答え合わせ。それを意識化することができた。

昨日、この記事をあげた後に。

 

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他人軸が自分のなかに厳然として存在することを意識した私。

他人軸って、なにさ?と思った。

 

それは、「あるべき姿」なのだと思った。

私はいつも、「あるべき姿」を思い描いて生きてきたみたいだ。

 

例えば、

仕事はきちんと、熱意を持って取り組まねばならない。とか。

朝はきちんと起きなければならない。とか。

 

前に勤めてた大企業では、会社が総合職に求める「あるべき人物像」には、もう全くなれる気がしなくて。

だから会社やめたんだけど。

 

そういう、周りから与えられるのじゃなくても、自分の中にも「あるべき姿」がある。

 

で、その「あるべき姿」と、自分とを照らし合わせて、

「あるべき姿」ならこんなことしないだろうな、

「あるべき姿」なら、こういうふうに考えるだろうな、

だから、自分のこういう行為とか思いとかは、正さないといけないんだな、

って考えてたみたい。

 

・・・あるべき姿、ってなにさ。

私は、まさにここにいる私それ以外ではないんだから、

あるべき姿と答え合わせするって、おかしくない?

 

なんか、そういうことが突然妙に腑に落ちて。

頭では知ってましたよ。

自分は自分にしかなれないんだって。

でも、あまりにも無意識に、私は「あるべき姿」と自分とを比べて、照らし合わせて、答え合わせするという行為をやってたんだなって気がついた。

 

私、すごい!

自分をほめてあげよう(笑)

 

 

で、この「あるべき姿」との答え合わせっていう習慣がどこからきたんだろうって考えてみたんだけれども、

これはやっぱり、学校教育なんじゃないかなあ。

「正解」を導き出すことばっかりが求められるあの世界で、

私は教育を受けて、なまじっかわりとそれに順応してしまってた。

それでものすごい不具合を起こしたわけでもなく、

むしろ、その「正解を導く」という能力が役に立ってる面もあるんだけど、

それに順応しすぎて、それ以外ができなくなったという感じではないのかな。

 

もっと、正解かどうかで評価される軸以外の、別の軸・考え方が、

人が健康的に生きていくためには必要なんじゃないかな。