なにか、いいこと somethingoodの日記

日々考えたことを綴っています。

4nessコーピング実践中。どんな自分にもOKを出せるということが、ちょーっとだけ分かった気がした。

4nessコーピング実践中です。

 

未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する

未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する

 

 

私は、

なんとなく自分が今の状態に満足できてない、ような気がするなあ・・・というのを思っていて、

それで、心とか引き寄せとかスピリチュアルとか精神世界とか、

そういうところに興味を持っているのだけれども、

 

私は、そういうところで言われているアドバイスをかなり鵜呑みにし、

鵜呑みにしてそのまま実行できない私ってダメだ・・・というようなことをしている。

 

例えば、

「金に糸目をつけずに好きなものを買う」とかね。

「神社に1万円入れてみる」とかね。

「わがまま言ってみる」とかね。

何も考えずに、まずはやってみよう!とか言われるわけだけど、

うーーーむとなってしまうのです。

 

で、そういう「他人の意見」でしかないそういうアドバイスを、

「正しい」と思い、

「人が言った(言いそうな)正しいことを行うべきだ」という思い込みが私にはあることに気がついた。

 

ここで私は、その思い込みが自分をないがしろにしていることに気づく。

「人が言った(言いそうな)正しいこと」、なぜ軸が他人軸なのか。

「自分がやりたいと思ったこと」をやるという選択肢はないのか。

 

ここでまたさらに私はこう思う。

この場合、「自分がやりたいと思ったこと」をやるのが「正解」なのではないか。

だとしたら、「正解」を選ぶべきではないか。

だって、心関連のひとたちは、自分の思うままに生きよっていうもんね!

じゃあきっと、こっちの「自分がやりたいと思ったこと」のほうが正解だ!

 

・・・さて、「正解」ってなんでしょう。

私にとっての「正解」は、人から見たときの正解を指しています。

そうすると、なんだか、何をとっても苦しい感じがするのです。

「自分がやりたいと思ったこと」をやるべきである。なぜなら、他人がそう言った(言いそうだ)からである。

 

・・・なんでしょう、なんか議論が堂々巡りでだいぶ分かりづらいと思うんですが、

二重に、三重に、私は他人軸が自分のなかに厳として存在していることを思い知らされるのです。

 

ただ、他人軸を自分のなかに持つということは、とても有用で大事なことだと思っています。

だって、文章は他人がわかるように書かないといけないんだもんね。

(そういう文章、このブログで書けてないけどね・・・!)

 

4nessコーピングでは、今までの思い込みからの行動を続けても、自分を優先させる新しい行動を続けても、どちらでもいいと言われています。

 

それを知って、私はものすごく救われた気になりました。

「人が言った(言いそうな)正しいこと」と、「自分がやりたいと思ったこと」。

どっちを選ぶ自分であってもいい。だって自分の人生だから。

 

でも、私はどうも人が言う正しいことを優先させがちのようだ、ということがわかる、それを意識にのぼらせるだけ、もうそれだけで、

人生の主導権が自分に戻ってきて、

自分の人生を生きてない感じが少なくなっていく、のだそうです。

同じように、人が言う正しいことを優先させたとしても。ああ、私またやってるなあ、って思えれば、それが勝手に自動的に自分の意思を離れたところでなされた選択ではなく、自分がやった選択になる。

 

気づいたばっかりなのでよくわかりませんが。

ただ、なんかこう、「自分を大事に」「自分を優先させるんだ」ということがやたらと強調されているこの時代(いえ、私がそう思い込んでるに過ぎませんが)に、

別に人を優先させる選び方もOKだよ!って認められたことはとても嬉しくて。

これもすでに、4nessコーピングという考え方に認められたという他人軸には変わりないのですが(笑)

でも、うれしくて。

 

そうすると、何を選択してもOK。

どんな自分もOK。

そんなふうに、思えてくる、ような気がします。

まだまだ、旅の途中です。