今朝、こんなツイートをしてみました。
自分を大切にする、というのは、自分のためになることを、自分が自分にしてあげること。
— somethingood (@somethingood5) 2017年10月22日
ずっと、「自分を大切にする」ということに違和感を感じていたのです。
自分は、大切にしたほうがいいと思う。
でも、どう大切にするのが適切なんだろう、と考えていました。
「自分を大切にする」というのは、例えば、
「自分がやりたいようにやる」「自分が好きなようにする」「自分を甘やかす」とかかなあと思うんだけれども、なんか違う気がする。
さらにいえば、ただのわがままと「自分を大切にする」との違いは一体何なのか・・・と考えていました。
それで今朝ふと思ったのです。
「自分を大切にする」ということは、「自分のためになる」ことをするのだと。
もう少し言えば「自分がゴキゲンになるため」のことを自分にしてあげるのだと。
そして、これはワガママではないのだと。
決して、他の人をないがしろにして自分のやりたいようにするというのじゃなくて、
自分のやりたいことと、他の人の都合や要望とを考えて、
そこで折り合いをつけて、自分が一番ゴキゲンでいられそうな行動を選び取っていくことなのだなあと思ったのです。
例えば、なんかケーキがあったとして、自分はそれが食べたい。
でも食べたら家族に怒られる。なんで残しておかないのかと。
その時に、まあどうしてもどうしても食べたければ食べてもいい。
でも、家族に残しておいたらその家族も喜ぶかなあ、喜んだら私も嬉しいし楽しく過ごせるなあと思ったら、残しておいてもよい。
自分の要求を何が何でも押し通すのではなくて、自分の要求をわかった上で、「選ぶ」。
他人からの要求を満たすことだけを考えるのではなく、
自分の欲求を満たすことを常に最優先にするということでもなく、
ちゃんと、自分の欲求をわかってあげて、大人ですので他人からの要望もわかった上で、
ちゃんとその2つを同じ土俵に載せてあげて、そして、選ぶ。
そういう態度が、「自分を大切にする」ということの本懐なのではないかと思い至ったのです。
多分、「自分を大切にする」ことが必要な人の一番最初の段階は、
「自分の欲求を他人の要求と同じ土俵に載せる」ということができていないので、
その場合は、何が何でも自分の要求を押し通すみたいなことをすることが必要なんだと思う。
でもやっぱりそれが最優先でそれだけが大事ってことはなくて、
あくまで「自分の欲求を他人の要求と同じ土俵に載せる」ことが大事なのだ、と思いました。
要するに、「自分を大切にすることを許す。選択は自由。」ということかな。
ちょっとよくわからない感じになりましたが、私としては合点がいったというお話でした。