なにか、いいこと somethingoodの日記

日々考えたことを綴っています。

「ドッジボール理論」を手放すことにした。

ドッジボール理論」・・・

私の作った言葉です。なんじゃそれ、と思われるでしょう。

 

私は小さい頃、いや今も、いわゆる「運動音痴」です。

早生まれだったこともあって、小学生の時は、マラソンは後ろから数えたほうがはやい、徒競走は絶対にビリ、リレーの選手なんて夢のまた夢・・・みたいな子どもでした。

 

それが、1つだけ得意だったことがあったのです。

それが「ドッジボール」。

 

ただし、ボールを投げたりとったりするのは下手くそです。

何がうまかったかといえば、「逃げ方」だったのです。

 

ものすごい敏捷だったわけでもありません。

コツは2つ。

「みんなが逃げてるほうに行かない」「投げる人の方へ向かって走る」です。

要は、狙いにくい位置に行こうとすればいいわけですね。

 

このコツで、私はドッジボールでは、最後まで残ったりしていました。

なかなか当てることができない人物として、当てることに生きがいを感じている男子(たまにいるじゃないですか笑)の闘志を燃やす対象にされたりして。絶対おまえにあててやる!みたいな。

 

・・・それが多分、私にとってはものすごい成功体験で。

 

そこから編み出したのが「ドッジボール理論」です。

それは、「人気があるものには近づかない」だったのです。

そうすればオトクなことがある(ドッジボールで言えば、球に当たりにくい)。

もう少し噛み砕くと、

「思わずやってしまう(ドッジボールで団子に固まる、人気があるものに近づく)ことは、損である。冷静に考えて、得な方を選べば間違いない。」です。

 

それで、その後の人生でも、自分がこれやりたい!と思っていたことを、直前で変えるみたいなことがありました。

 

吹奏楽部に入った時、やりたい楽器があったんだけど、

その楽器のマウスピースより、別の楽器のマウスピースのほうが吹きやすかったから、吹きやすい方を選んだ。

 

大学院のときの研究テーマ、

教授のテーマのほうがやりたかったんだけど、そっちは人気があったから、

競争率の激しくないほうが大事にされるかなーと思って、助教授のテーマを選んだ。

 

結果、それが自分を幸せにしたのかというと・・・

まあ、すごーく不幸せ、だったわけではない。

でも、あのときこうしておけばよかったな・・・というような後悔が、やっぱりあるようなきがする。

その結果、例えば教授のテーマを選んでいればものすごくハッピーな研究生活だったのか?というと、それはわかんないです。

でも、あのときこうしていればなー、って思わなくて済むだけいい。

そして、教授のテーマやりたい!って言ったのに助教授のテーマに回されたとしても、

まあ、仕方ないな・・・って諦めもついたかもしれません。

 

私が、小さい頃に編み出した「ドッジボール理論」は、

実は、自分を幸せにすることには大して寄与していなかった可能性があります。

この「ドッジボール理論」という仮説の効果を検証することなく、この年まで来てしまいました。

仮説が正しいかどうかは、その仮説をたてて、本当かどうかを検証しなくては、わから無いのに。

私は、1回限りの成功体験をもとに、その仮説を握りしめて、今まで生きてきた。

 

そもそも、別に人生はドッジボールではないので(笑)

ドッジボールでは有効だった仮説も、人生においては役立たないことがあるなんてことは当たり前。

あれは、あのとき(小学生)、あの場所で(ドッジボールのコート)、あのルール(ドッジボール)で勝負したときに有効だっただけであって。

この30代も半ばを超えて、ドッジボールじゃない別のルールで動いてるこの社会で、そんなドッジボールの仮説が通用するわけがない!

 

ということにやっと気づきました。

もちろん、得な方を選ぶという選び方で、恩恵を被ったこともあるとは思います。

これからも、「得なほうを選ぶ」というやり方を使うことはあると思いますが、

「トクかどうかに関係なく、自分の好きな方を選ぶ」という選択肢を、これからは自分に与えていきたいと思います。