子どものトイレトレーニングを通して考えたこと。

うちには4歳になろうとする娘がいます。

おむつがまだとれていません。

 

「おしっこを貯められるように体が成長していない」

「尿意がわからない」

「尿意を教えられない」

とかいう感じではありませんでした。

 

むしろ、「やる気がない」。

そろそろトイレに行ったら?と言っても「大丈夫」と言い、

そしたら案の定ご飯中におもらしをし、

「さっき行けっていったでしょ!何考えてんの!」とか叱責したりして(やってはいけないやつです…)…

 

あとは、「おトイレこわい」と言う。ウォシュレットの起動する音がこわいと。

ウォシュレット切ったよ、もう音しないよ、と言っても、「こわい」。

要は、トイレに行かなくてもいい理由を、こどもなりに考え出そうとしている感がありあり。

 

やる気の問題なので、当然叱ってもしょうがないわけですよね。叱ってもやる気は出ない。

むしろ、逆効果です。行きたくなくなります。(わかってはいます!!)

さらに、おトイレを失敗すると叱られる→失敗できない→おむつでいいや、になります。

おトイレに行って欲しい親側の理由(パンツのほうが涼しいよ、プールに入れるよ、そろそろパンツのほうがかっこいいよ、いいかげんトイレ行けるでしょ、など)を説明したりもしたけど、やはり心に響かないわけです。

 

そんな折、先輩ママである我が妹に

「お気に入りのかわいいパンツ大作戦」

を教えてもらった。

要は、かわいいパンツを買ってあげて、それを大事にしたいからおトイレ頑張る!って思わせる作戦でございます。

 

そして西松屋に行き、

すきなパンツを選ばせ、

「このパンツを大事にしようねー、おトイレ行こうねー」と言ってみた。

 

そしたら、劇的にトイレに行くようになりまして。

まあそれはよかったわけなんですけど。

 

 

それで…

そしたら、娘が前よりも可愛く見えるようになったんです。

 

 

これって、けっこうひどいよねって私は思いました。

私の思い通りに、「トイレに行ってくれる娘」だと可愛くて、

「トイレに誘っても行きたがらない、いつまでもおむつの、おもらしばかりする娘」だと可愛くないなんて。

自分の思い通りになれば可愛いけど、思い通りにならなかったら可愛くないなんて。

 

 

まあでも、私なんてその程度の人間なわけだし、

多分他の人もその程度の人間なんだろうと思う。

そうじゃないすばらしい人間もいるとは思うけど、

私レベルの人もたくさんいると思う。

 

「親の愛」って、無償でふんだんに湧き出るイメージがあって、

だから、虐待事件の報道を聞くと、「なんて親だ!」ってなるわけだけど、

ほんとは「親の愛」って無償じゃなくて、

やっぱり自分勝手な心が親にもあるわけです。

自分勝手な心と、無条件に子どものことを可愛いと思う心と、両方あって、

そのバランスが自分勝手に崩れたときに、虐待とかが起こっていく・・・

 

なんか、そういうことなんじゃないかなと思いました。

だから、自分勝手な自分の心というものを、なかったものにせず、

ああ、こういう自分勝手なところもあるんだなって見てあげて、

とりあえずその存在を認めてあげると、

あんまり「自分勝手」と「無償の愛」とのバランスを崩すことなく、日々現実的な対処ができるようになるような気がします。