「よかった探し」は「視点を変えるゲーム」であって「点数をつけて勝ち負けを競うゲーム」ではない。

昔「愛少女ポリアンナ物語」というアニメがやっていて、その中でポリアンナがやっているのが「よかった探し」。

 

(なお、けっこううろ覚えなので、これから適当なこと書きますので、本当に正確な情報が知りたい方は調べてください。)

 

私が記憶している限りでは、、

ポリアンナはそんなに裕福でなかった。

それで、人形とかそういうこどもがほしーい感じのものが欲しかったのに、

届いた慰問箱の中には、松葉杖しかなかった。

それで落胆するポリアンナにお父さんか誰かが「でも、松葉杖を必要としていない、歩けるということはよかったね」というように説明する。

そうやって、物事のいいところを見つける遊び「よかった探し」を周りに伝えることで、ポリアンナは愛されて周りを幸せにしていく…

 

みたいな話だったかと(ほんと、適当ですいません!!)

 

ただ、ちょっと私の中で引っかかっていたのは、

「じゃあ、松葉杖を必要とする人の立場はどうなる??」ということだった。

「あー私は歩けるんだわ、歩けない人よりかはマシ」みたいな考え方って、なんかこうあまり美しくないと言うか健康的でないというか。

人と比較して、その優越感で自分の気持ちを盛り立てていくっていうのは、比較できるような人がいてこそ成り立つ論理であるからして、どんどん自分が落ちてって、比較できるような人もいない悲惨な状況になったらどうするんだろう、とか思ったりしてました。

 

この考え方、やっぱりちょっと大事なことを忘れてたなあと気づいたのです。

 

このよかった探しは、

「他の人の立場に立ってみたら、自分の持っている豊かさに気づくことができる」というゲームなのです。ただの、視点を変えるゲーム

別にそれぞれの人に何点って点数をつけて競うゲームではないんですね。

視点を変えるゲーム。それだけ。

 

それで、足が悪い人の立場に立って考えると、自分には、歩けるという豊かさがあると。

ここで終わりです。

あっ、私ってそういう豊かさがあるのねー、うれしいわ♪で、終了です。以上です。

「だから私は足が悪い人よりも価値がある」というジャッジをするのは、全くの蛇足です。

 

「視点を変える」ことと、「点数をつける・ジャッジする」こととがごっちゃになると、せっかくの「よかった探し」も台無しになってしまうのです。

私が長年誤解していたように。