なにか、いいこと somethingoodの日記

日々考えたことを綴っています。

自分の「存在給」を信じることができたら、大企業を辞めなかった、かもしれない。

私は、かつて、業界大手ホワイト企業の正社員(総合職)でした。

それを自分から辞めました。

いろいろ理由はあるのだけれど、メインの理由の一つが、「そんなにたくさんのお給料をいただく価値が自分にはない」と思って、自分で自分をいじめていたからでした。

 

先日、「一生お金に困らない生き方」という心屋仁之助さんの本を読み、

人には「存在給」があるのだから、お金というのは別に何か価値を与えていなくても、そこに存在しているだけで受け取ってもいいのだ、という考え方を知りました。

 

そう思えたら、あの会社、待遇のいい会社、辞めなくてよかったよなあ。

 

私は総合職だったので、

一般職の人が「あの人(総合職)、高い給料もらってるのにちっとも働かない!デキない!」って陰口言ってるのが聞こえてきたりするといてもたってもいられず、

総合職たるものリーダーになるべき存在として周りを引っ張ってテーマを推進して、社内外でも通用するようなスキルを身につけてうんてろかんてろ…という研修を真正面から受け止めてしまってりして、

そんな「総合職あるべき姿」にぜんぜん近づけない、近づきたいとも思えない自分が本当に嫌で嫌でしょうがなくて。

 

会社にいると、やっぱり「給料=自分が与えた価値」ってことになるので、

それを突き詰めてしまうととてもしんどかったのです。

 

考え過ぎてたのかもしれないと、今になって思う。

 

今は歩合で仕事をしています。歩合はやったぶん=給料になります。

シンプルで、昔みたいに自分の与える価値と給料とのアンバランスを考えなくてよくはなったけど、

でも、私の時間は給料と等価交換なのかい!?って気分になってきて、それもなんだかなともやもやする、今日このごろなのでした。

 

「存在給」、あると思うんです。

最近ちょっとその存在を信じられるようになってきた。