なにか、いいこと somethingoodの日記

日々考えたことを綴っています。

結局、自分にできることをやるしかない。それが周りの、世界の、宇宙のためになる。「Dr.MITSUYA 世界初のエイズ治療薬を発見した男」という番組を観て考えた。

かなり前に撮りだめしてあった、「Dr.MITSUYA 世界初のエイズ治療薬を発見した男」というNHKの番組を観ました。 

www.kumamoto-u.ac.jp

 

私はこの満屋裕明さんという方を知らなかったのですが、かなりすごい方です。タイトルにもあるように、世界初のエイズ治療薬を発見した方です。

matome.naver.jp

 

エイズというのは、一昔前までは治療法もわからず、どの程度の感染力なのかもわからず、発症したら確実に死に至る病でした。

そんなエイズの原因となるエイズウイルスを使ってこの方は研究をすることになったわけですが、エイズウイルスの感染力が未知な時代、エイズの研究をするということは、自分の命をかけるに等しい行為でした。

 

そんななか、巡り合わせでエイズの研究をしてくれないかとボスに言われた満屋さんは、たしかに怖いけど、置かれた状況、バックグラウンド等考えると、確かに自分が適任だ。自分がやらずに誰がやる?という意気込みで研究に取り組んだそうです。

 

この方、相当優秀な方です。さらにいろいろな巡り合わせが功を奏して、世界初のエイズ治療薬を見つけるに至るわけですけど…

 

なんかね、この方はその優秀な頭脳を使って周りに貢献したわけですけど、

ご本人もおっしゃっているけど、その裏、というかそれと並行して、

家族から縁を切られて誰からも看取られることなく、差別と偏見にさらされて死んでいったエイズ患者の方々というのがいるわけです。

エイズ治療候補薬の治験に参加したけど、結局その薬には効果がなかった、そういう結果を出すのに貢献した方もいるわけです。

 

そういう、「ただのエイズ患者」がたくさんいた。

その方たちは、必死でその人生を生きた。

 

こういった方々が、満屋さんのような方を発奮させる材料になっていた、だから価値がある、というふうには思わない。

 

ただ、生きた。

そして、満屋さんも、自分の人生を生きてきた。

そういう、たくさんの方の人生の「積み重ね」が、今ここにある現在なのであって、

まあ結果的に満屋さんは目立った功績を残されているわけだけど、

その「生きた」人生に優劣はなくて、すべてが尊いのだなあ・・・

 

としみじみ思ったのだった。

 

だから、自分にできることをちゃんとやって、自分の人生はちゃんと生きないとね、と思ったのでした。

エイズ患者の方々がそれぞれに生きたように、

満屋さんが、研究者として生きたように。

それぞれに、それぞれの才能を活かして、それぞれらしく。

幸せは、考えるものではなく感じるもの!そして人生は全て、自分の選択からできている。「30代からの自信の育て方 ~人生がうまくいく! ~ 」林忠之

林忠之さんの「30代からの自信の育て方 ~人生がうまくいく! ~ 」 という本を読みました。

30代からの自信の育て方 ~人生がうまくいく! ~ (マイナビ文庫)

30代からの自信の育て方 ~人生がうまくいく! ~ (マイナビ文庫)

 

 

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というのも、この方が藤本さきこさんとセミナーをされていて、

ameblo.jp

行きたい!って思ったけどすでに満席だったので、ちくしょー、じゃあ本だけでも読んでやるって感じで読んだのです(笑)

 

結果、すごいいい本で、これ読んでから幸せ感が上がったと思います!

 

心に残ったのは、

「幸せ」はココロの中、「感情」で感じるものであり、頭の中、「思考」によってつくり出されるものではありません。

というところ。

考えてみれば当たり前ですが、「幸せ」というのは、感じるものであって、「私はこれこれこうでこうだから(お金があるとか)、だから幸せだ」というように、考えてなるものではありませんよね。

 

当たり前なんだけど、そっか、幸せって「感じる」ものなんだな、と気づいてから、

幸せを感じるという方向に自分の意識を向けたんです。

そしたら…幸せですよ確かに!

幸せってすぐなれるんですね(笑)

妖怪ウォッチのオープニングテーマ曲にも、そんな歌詞があったなあ。

しあわせに なりたいと いうならばそれは簡単さ たった今がしあわせなんだと思うだけ!

 

もうひとつ心に残ったのは以下の部分。

「妥協」は今の自分の選択と捉える

「あらゆる選択肢の中から、自分が選択している」という感覚は、非常に重要です。

しかし、一見、自由がないように見えるこのような人も、実はすべての選択肢の中から今の状態を選んでいるのです。

例えば、「小さい子がいるから海外旅行に行けない」という状況。

極論すればその子を養子に出せば海外旅行に行けるんだけど、「そんなことできるわけないじゃん!」ということに普通はなるわけで、

じゃあなんでできない・しないのかといえば、それは自分にとって海外旅行よりも小さい子を育てることが大事だから、だから自分は海外旅行に行かずに小さい子の面倒を見ることを「選択している」のだというように考えましょう、ということ。

 

自分の人生は、自分で選んできたことの集合なのだという感覚は、

自分の人生の舵取りは自分がしているんだという意識につながります。

こういう意識をもつと、自分の人生に自信が持てるようになる気がします。

 

 

この本は、自信がない人にもいいと思いますが、幸せになりたい人にもおすすめです。

 

当たり前のことばかりだけど、シンプルにまとまっていてよかった。「自分史上最高の幸せを呼びこむ方法」鈴木真奈美

鈴木真奈美さんの「自分史上最高の幸せを呼びこむ方法」という本を読みました。

ブックオフにふらっと行ったときに見つけて、108円という破格の値段で売られていたので、つい買ってしまった。 

自分史上最高の幸せを呼びこむ方法

自分史上最高の幸せを呼びこむ方法

 

 

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多分、スピリチュアルとか心関係の本という意味では、そんなに特別なことは書いてなかった。

でも、だからこそ読みやすかった。

一番こころに響いたのは以下の部分。

「なぜ自分への感謝が大切なのか」

あなたの中には、たくさんの命が眠っています。

あなたに感謝するということは、あなたの中に眠る、たくさんのご先祖様への感謝でもあり、あなたに命を捧げてくれた動物・植物・果物への感謝にもつながります。

あなたを大切にすれば、その命たちがはたらいてくれるのです。

 

なんで自分を大切にすることが必要なのか、について、先日の真穂さんのブログも合わせてより腑に落ちた。

(というか!今そのリンク先貼ろうと思ったら、真穂さんのブログに感銘を受けた話の記事が消えている!なんでだろう、真穂さんにスターつけてもらってすっごいすっごい!嬉しかったのに…あうー

ちなみに、感銘を受けた真穂さんの記事はこれです。

santasantasan.hatenablog.com

 

私は、心について問題があって、それを扱う場合、それが医学的アプローチであろうが、スピリチュアル的アプローチであろうが、結局

・人間は、今のまま、ありのままでで価値があることを知ろう。

・そのために、自分を大切にしよう

ということを腑に落とすことが大事なのだと思う。

最近話題のマンガ「うつヌケ」にも、作者がうつになったのは、自分を嫌いになったからだと書いてありました。

 

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 

結局、心という同じものを扱っているのだから、医学も心理学もスピリチュアルも、同じことになってくるのだなと思います。

その、自分には価値がある、自分を大切にするというところに至るために、

医者がいうことが響くならそれを採用し、宇宙と交信できる人ならそのほうが早いだろうし、ということだと思っています。

 

私は、宇宙はよくわからないし交信もできないけど、

まあなんかこの世界には人知を超えた神様がいる、ような気がする、だからスピリチュアルもきっとそうなんだろうな、というスタンスです。

 

なんかよくわかんない感じになりましたが、この辺で。

東日本大震災のときに私が思ったこと。「人生ひまつぶしだけんね。常にやりたいことばせんとあかん(しないといけない)」

 東日本大震災から6年ということで、その時に思ったことを書こうと思います。

 

私はその頃から、首都圏某所に住んではおりましたが、たまたまその日は出張で四国にいたので、揺れは体験しませんでした。

でも、帰れなくなった。

それでさらに一泊して、次の日の3月12日土曜日に帰ってきた。

 

そして、月曜日は確か待機指示が出たんだったっけな。

なんか製品の初回生産が迫っていて、それをどうするんだとか考えてたっけ。

そして出社が開始して、首都圏の電車は本数制限で大混雑。死ぬかと思ったし、いつ電車が止まって帰れなくなるかわからない状況で、怖かった。

なんでこんなときに電車で会社に行かなきゃいけないんだろう、とか、

原発がなんだか大変なことになっているのに、なにを自分はしたらいいんだろう、とか考えた。

余震も続いていた。

いわゆる被災地ではなかったけど、いろいろ怖かった。

被災地の人ほど大変じゃないだろうお前、って自分に言い聞かせるんだけど、でも怖かった。

テレビの津波の映像だって、原発の映像だって、あれ見てるだけで本当に心が縮んでいくようで。

 

そんな中、自分ができることといったら、

結局、仕事しか、することがなかったんです。

仕事というのは、その当時の私にとっての、いわゆる「日常」

農家ならきっと畑仕事しかすることがなかっただろう。

専業主婦なら、きっと家事しかすることがなかっただろう。

私は、働いていたので、結局勤め人としての仕事しかすることがなかった。

それしか、できなかった。

どんなに、明日はどうなるんだろう?って恐怖にさいなまれていたとしても。

結局、日常を過ごす、日常を過ごしていくことに尽力する、というのが、普通の人間にできることなんだなあ、と、本当に、心の底から思った。

 

そして、結局、人生なんていうのは暇つぶしなんだと思った。

なんか知らんけど生きているので、その時間を過ごすしかない。

その時間を過ごす、暇つぶしをする。

そのために、まあ今はたまたま私は仕事をしている。

 

そうするとだ。

暇つぶしって、やりたいことをやらないともったいないんじゃないか?ってその時思った。

今もそう思っている。

 

震災とは関係ないけど、そしてまだ熊本地震も起こる前だったけど、熊本に移住した方の手記で、熊本のある人がこう語ったという。

「人生ひまつぶしだけんね。常にやりたいことばせんとあかん(しないといけない)」

www.kininaru-k.jp

 

 

私は今、やりたいことで暇を潰せているのか。

東日本大震災が来るたびに、それを自分に問うている。

自分が変われば世界が変わる 「トップ1%に上り詰めたいなら、20代は“残業"するな」

夫が妙にすすめるので、「トップ1%に上り詰めたいなら、20代は“残業"するな」この本を読んでいる。 

トップ1%に上り詰めたいなら、20代は“残業

トップ1%に上り詰めたいなら、20代は“残業"するな

 

 そしたら、しょっぱなにこういう章があった。

「01 世界は厳しくもないし、残酷でもない」

その理由1:

「世界は残酷で厳しい」と吹いて回る人は、そのように脅すことで自分の主張に対して耳を傾けてくれると考えているからです。

その理由2:

「世界は残酷で厳しい」と吹いて回る人本人が、残酷で厳しい人であるために、周囲の人も残酷で厳しくならざるをえないということです。

 心に響いたのはこの、理由2です。

「世界は残酷で厳しい」と考える人は、周りに対しても「残酷で厳し」く接している。だから「残酷で厳しい」人たちが集まってくる。

これを変えるためには、

「世界を変える」などと考えずに、まず自分が変わればいいのです。

 

ナリ心理学で、自分が周りをジャッジしているから、周りからもジャッジされると思ってやりたいことできなくなる、っていう考え方を知ったんだけれども、

別に心関連でもスピリチュアルでもない本にも同じことが書いてあって、結構嬉しく思った。

(心関連・スピリチュアルって、ほんとにそうなの?ってやっぱりちょっと思うもので・・・)

 

やっぱり、ジャッジをやめるって大事だなと再認識した次第です。

自分が変われば、世界が変わる!

 

 

余談:ほんとはアマゾンアフィリエイトをやりたいんですけどね。設定できずにいます・・・(笑)

それは不妊なのか、それとも不純な動機が邪魔をしているのか。

昔、なかなか子供ができずにいたのです。

それは大企業に勤めていたときのことでした。

 

大企業だし働くママに優しいよねっと思って勤めていたけど、全然妊娠しない。

しかし、このまま妊娠しないんだったら、もうこの会社勤めていたくないんだけど!キーッ!

ってその時は思って、まあ年齢的なものもあって転職した。

 

そしたら、ほんとにすぐに妊娠した。。。

 

それで今。

二人目ほしいなと思っているけど、まだ。

 

まあ、一人目も苦戦したんだから、いわゆる単なる不妊症だよなあと思いつつも、

一人目妊娠したときと今とで共通点があることに最近気づいた。

 

妊娠して、仕事休みたいって思ってる、私・・・!

本音は、「仕事辞めたい」なわけです。

 

妊娠すれば、言っちゃ悪いけど合法的(?)に、誰にも文句言われずに、給料もらいながら、でも勤め人の仕事しなくていいじゃないですか。

自ら「辞める」という選択肢をわざわざとらなくても、自動的に仕事しなくて済む・・・

 

一人目を妊娠したときは、転職したてで、新しい仕事やりたい!っていう時期だった。

それで妊娠して、仕事を続けるために保育園を必死に探し回ったりして、あの頃はがんばったなあ(遠い目)。

今妊娠しても、あれほど必死になって保育園探したりしないかもなあ。

 

ほんとは、妊娠に関係なく、自分のやりたいこと(昔だったら転職したての仕事)を見つけて頑張っていくっていうのが、人生にとって健康的でもあるし、ついでに子宝にも恵まれるんだろうけれど。

 

子宝のために自分のやりたいこと見つけるってわけではないけど、

でも、あわよくばって感じで(笑)、やりたいことやって楽しく過ごしていきたいな。

なんだろう、やりたいこと・・・今は、仕事じゃない気がするんだよなあ。ぼんやり。

家庭科が好きだった。

「家事」ではない、「家庭科」。

生活の中にあるさまざまなことを、学問として勉強するのが楽しかったのだ。

 

たとえば、家計管理なんて「経理」「財務」「会計」だし、

加工食品の裏とか見ればいろんな材料や、まあ言ってみれば化学物質の名前が書いてあるし、これは立派に「化学」。

洗濯だって、この繊維はこういう構造だからこういう機能がある、みたいなことは「化学」だし、洗濯って立派に界面活性剤使って汚れと親和させて落とすんだから、「有機化学」です。

 

そういった、日常の様々なことを科学的な目で見る、というのが好きだったのだ。

そうだ、ワクワクする。

 

だから、家政学部とか生活科学科に行けばよかったんだろうなあ…とつくづく思うのだけれども、

無駄に成績がよかったために、より偏差値が高いところって思って勉強を頑張っちゃって、結局農学部に行った。(一応、純粋な学問っていうよりは実学に近い。)

 

それでも、やっぱり家庭科がやりたい!と思って、就職してから日本女子大の通信課程で家庭科の教員免許を取得することにした。

www.jwu.ac.jp

レポート出して、試験受けに行って、夏休みはスクーリングに行って…

すごく楽しかった。

日頃お話できないような人たちと話ができたし、

スクーリングでやった被服の製作もほんとに楽しかったなあ。

それでちゃんと教員免許も取得して。

(ただし、高校のみです。もともと高校の理科と農業の教員免許を持っていて、それに科目を追加した形。)

 

なのに、今私は家庭科と関係ないことをやって日々過ごしている。

なんか、今思えば、日本女子大の通信課程をやることにしたのって、純粋な楽しみからきていて、それをやったらなんの得になるとかそういうこと一切度外視した判断だったので、

家庭科っていうのは私の中でかなり純粋な「やってみたいこと」なのではないか、と昨日思ったのだった。(昨日かよ!)

ああ、家庭科に関する何か、やってみたい!!!

 

なんだろう、何ならできるかな。

教員へ転職するっていうのは、ちょっと勇気がなく、いま在宅勤務できてフレキシブルな勤務形態なのは小さい子の子育てには合っているのでそれを変えるのもなんだし。

 

ちょっと考えてみようかな。