なにか、いいこと somethingoodの日記

日々考えたことを綴っています。

それは不妊なのか、それとも不純な動機が邪魔をしているのか。

昔、なかなか子供ができずにいたのです。

それは大企業に勤めていたときのことでした。

 

大企業だし働くママに優しいよねっと思って勤めていたけど、全然妊娠しない。

しかし、このまま妊娠しないんだったら、もうこの会社勤めていたくないんだけど!キーッ!

ってその時は思って、まあ年齢的なものもあって転職した。

 

そしたら、ほんとにすぐに妊娠した。。。

 

それで今。

二人目ほしいなと思っているけど、まだ。

 

まあ、一人目も苦戦したんだから、いわゆる単なる不妊症だよなあと思いつつも、

一人目妊娠したときと今とで共通点があることに最近気づいた。

 

妊娠して、仕事休みたいって思ってる、私・・・!

本音は、「仕事辞めたい」なわけです。

 

妊娠すれば、言っちゃ悪いけど合法的(?)に、誰にも文句言われずに、給料もらいながら、でも勤め人の仕事しなくていいじゃないですか。

自ら「辞める」という選択肢をわざわざとらなくても、自動的に仕事しなくて済む・・・

 

一人目を妊娠したときは、転職したてで、新しい仕事やりたい!っていう時期だった。

それで妊娠して、仕事を続けるために保育園を必死に探し回ったりして、あの頃はがんばったなあ(遠い目)。

今妊娠しても、あれほど必死になって保育園探したりしないかもなあ。

 

ほんとは、妊娠に関係なく、自分のやりたいこと(昔だったら転職したての仕事)を見つけて頑張っていくっていうのが、人生にとって健康的でもあるし、ついでに子宝にも恵まれるんだろうけれど。

 

子宝のために自分のやりたいこと見つけるってわけではないけど、

でも、あわよくばって感じで(笑)、やりたいことやって楽しく過ごしていきたいな。

なんだろう、やりたいこと・・・今は、仕事じゃない気がするんだよなあ。ぼんやり。

家庭科が好きだった。

「家事」ではない、「家庭科」。

生活の中にあるさまざまなことを、学問として勉強するのが楽しかったのだ。

 

たとえば、家計管理なんて「経理」「財務」「会計」だし、

加工食品の裏とか見ればいろんな材料や、まあ言ってみれば化学物質の名前が書いてあるし、これは立派に「化学」。

洗濯だって、この繊維はこういう構造だからこういう機能がある、みたいなことは「化学」だし、洗濯って立派に界面活性剤使って汚れと親和させて落とすんだから、「有機化学」です。

 

そういった、日常の様々なことを科学的な目で見る、というのが好きだったのだ。

そうだ、ワクワクする。

 

だから、家政学部とか生活科学科に行けばよかったんだろうなあ…とつくづく思うのだけれども、

無駄に成績がよかったために、より偏差値が高いところって思って勉強を頑張っちゃって、結局農学部に行った。(一応、純粋な学問っていうよりは実学に近い。)

 

それでも、やっぱり家庭科がやりたい!と思って、就職してから日本女子大の通信課程で家庭科の教員免許を取得することにした。

www.jwu.ac.jp

レポート出して、試験受けに行って、夏休みはスクーリングに行って…

すごく楽しかった。

日頃お話できないような人たちと話ができたし、

スクーリングでやった被服の製作もほんとに楽しかったなあ。

それでちゃんと教員免許も取得して。

(ただし、高校のみです。もともと高校の理科と農業の教員免許を持っていて、それに科目を追加した形。)

 

なのに、今私は家庭科と関係ないことをやって日々過ごしている。

なんか、今思えば、日本女子大の通信課程をやることにしたのって、純粋な楽しみからきていて、それをやったらなんの得になるとかそういうこと一切度外視した判断だったので、

家庭科っていうのは私の中でかなり純粋な「やってみたいこと」なのではないか、と昨日思ったのだった。(昨日かよ!)

ああ、家庭科に関する何か、やってみたい!!!

 

なんだろう、何ならできるかな。

教員へ転職するっていうのは、ちょっと勇気がなく、いま在宅勤務できてフレキシブルな勤務形態なのは小さい子の子育てには合っているのでそれを変えるのもなんだし。

 

ちょっと考えてみようかな。

やまと尼寺 精進日記「如月(きさらぎ) 冬ごもりの楽しみ」を観た。日々を楽しみたい、そして人間らしい暮らしを自分の手で営みたい。

 やまと尼寺精進日記の第3回目「霜月 収穫の秋は大忙し」を観ました。

www4.nhk.or.jp

前回も書きましたが、やっぱり、眠かった…(笑)

でも、観てしまうのです。

somethingood.hatenadiary.jp

 

今回、一番心に残ったのが、尼さんたちと、お手伝いのまっちゃんさんの笑顔。

そして、結構くだらないことでけたけた楽しそうに笑っていること。

だって、いい大人がですよ?雪つもったのぶつけ合いっこして心から楽しむって、あんまりなくないですか?

そういう、素朴なことにも全て楽しそうにしているのが、ほんとーにほんとーに印象的だった。

 

なんていうか、楽しむのにそんなに刺激とかいらないんだよなあ。

日々、楽しく過ごせるひとは過ごせるし、つまんない過ごし方しかできないひとはそれしかできないんだなあ。

それは、誰でも毎日楽しく過ごせる可能性がある、ということでもある。

 

それと、この尼さんたちは、けっこういろんなものを食べている。

コーヒーをおもちに入れたりね。

ほんとうに自給自足だったら、コーヒーとか飲めない・使えないと思うんだけど、そのあたりうまく工夫してやってらっしゃる。

そーんなにはお金かかってそうにないんですよね。

だから、自分もこういう暮らしがやってみたいなあって思わされる。

 

あっ、そうか、肉がないんだ。

そして、だからこそけっこう簡単に自分の手で作れるのか。

畜産やるってけっこう大変ですもんね。

 

私、地震とか戦争が起きたら、やっぱり強いのは田舎だと思っていて。

お金をたくさんもっていても、そういう時ってあんまり役に立たなくて、

やっぱり、食べ物。それを少しでも自分の手で作り出したいなあと思う。

 

のだけれど!

都会で暮らしていくのにいっぱいいっぱいで、時間かければ作れるものも結局買っちゃって。

 

ああ、そういう意味でも専業主婦になりたいな。

お金を稼ぐために使っている時間を、そういう、地に根を生やした暮らしのために使いたいな。

GDP的にはマイナスかもしれないが、人間らしい暮らしがしたい。

寝る前にその日1日にあったよかったことを書き出すと幸せになれる by DaiGo メンタルサプリ

DaiGoさんの「メンタルサプリ」という本を読みました。
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なんかいいこといろいろ書いてあり、実践レッスンみたいなのもついていて、ちゃんと全部実践したらめっちゃ幸せになれそうです(笑)
 
しかし、人はそんなにたくさん習慣化できないわけでして(と、この本にも書いてあった)、一つだけ取り入れることにした。
 
それは、これ。
 

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私は大木ゆきのさんの「宇宙にお任せするだけで勝手にうまくいく手帳2017」というのを遊び半分で使っています。
毎週、自己受容を高めるなどのワークがあるんですが、私は寝る前にとにかく「自分にはなまる」をつけているだけ…(笑)
(だって、やってもやらなくてもはなまるつけていいって書いてあったもん!!)
しかも娘にめっちゃ落書きされる。
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でも、この「就寝前にはなまるをつける」の習慣があるので、それに追加する形で、その日あったいいことを3つ書いていけば、結構幸せになれるんじゃない?
と思って、昨日やってみました。
(この、日常的にやってることにちょっとプラスする、というのが、習慣化にはとてもいいらしいです。メンタルサプリに書いてあった(笑))
まあ、もちろん1日では幸せにはなれませんでしたが、ちょいと続けてみようかと思います。
 

「よかった探し」は「視点を変えるゲーム」であって「点数をつけて勝ち負けを競うゲーム」ではない。

昔「愛少女ポリアンナ物語」というアニメがやっていて、その中でポリアンナがやっているのが「よかった探し」。

 

(なお、けっこううろ覚えなので、これから適当なこと書きますので、本当に正確な情報が知りたい方は調べてください。)

 

私が記憶している限りでは、、

ポリアンナはそんなに裕福でなかった。

それで、人形とかそういうこどもがほしーい感じのものが欲しかったのに、

届いた慰問箱の中には、松葉杖しかなかった。

それで落胆するポリアンナにお父さんか誰かが「でも、松葉杖を必要としていない、歩けるということはよかったね」というように説明する。

そうやって、物事のいいところを見つける遊び「よかった探し」を周りに伝えることで、ポリアンナは愛されて周りを幸せにしていく…

 

みたいな話だったかと(ほんと、適当ですいません!!)

 

ただ、ちょっと私の中で引っかかっていたのは、

「じゃあ、松葉杖を必要とする人の立場はどうなる??」ということだった。

「あー私は歩けるんだわ、歩けない人よりかはマシ」みたいな考え方って、なんかこうあまり美しくないと言うか健康的でないというか。

人と比較して、その優越感で自分の気持ちを盛り立てていくっていうのは、比較できるような人がいてこそ成り立つ論理であるからして、どんどん自分が落ちてって、比較できるような人もいない悲惨な状況になったらどうするんだろう、とか思ったりしてました。

 

この考え方、やっぱりちょっと大事なことを忘れてたなあと気づいたのです。

 

このよかった探しは、

「他の人の立場に立ってみたら、自分の持っている豊かさに気づくことができる」というゲームなのです。ただの、視点を変えるゲーム

別にそれぞれの人に何点って点数をつけて競うゲームではないんですね。

視点を変えるゲーム。それだけ。

 

それで、足が悪い人の立場に立って考えると、自分には、歩けるという豊かさがあると。

ここで終わりです。

あっ、私ってそういう豊かさがあるのねー、うれしいわ♪で、終了です。以上です。

「だから私は足が悪い人よりも価値がある」というジャッジをするのは、全くの蛇足です。

 

「視点を変える」ことと、「点数をつける・ジャッジする」こととがごっちゃになると、せっかくの「よかった探し」も台無しになってしまうのです。

私が長年誤解していたように。

 

麗しのパール柑、首都圏某所で購入!!

私は「パール柑」が好きです。
パール柑とは、熊本の天草が名産の柑橘です。
この季節にしか出回りません。
グレープフルーツにも似た味で、文旦とか晩白柚とかの仲間だそうで、
房からの身離れがいいところがすごい気に入ってます。

そんなパール柑、実家の熊本に住んでいた頃には簡単に手に入ったのに、実家を出て県外に暮らすようになってからは、なかなか…
まあたまには見かけるんですが、欲しいってときにはなかったり。
それで実家の母が私のことを思いやって、送ってくれてたりしました。

しかし毎年送ってもらうのも悪いなあと思っていたところ、
あ、ふるさと納税すればいいんじゃない?と思いつきました。
それで、去年は上天草市ふるさと納税で、パール柑8個とデコポン5個の詰め合わせを返礼品でいただくことにしたのです。

おいしく、いただきました。

で、今年も…と思っていたら。
品切れーー…
多分、デコポンが人気なんだと思う。
パール柑だけ15〜20個入りのやつはまだあったから。


しかし、それだと多いんだよなあ…

と思ってスーパー(首都圏某所)に行った。
そしたら、あったのですよ、パール柑!!
確かにそのスーパーは、マニアックな柑橘をたまに置いてあったりするので、ちょっと期待はしてたんだけど。
よろこんで、3つ買って帰りました!!

帰って、食べて、それがけっこう当たりのパール柑で、幸せいっぱいでした!
私見ですが、パール柑には当たり外れがあります。もし購入される際は、複数個購入することを強くおすすめします!

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上天草市への貢献って意味ではどっちがよかったのかなあ。
まあ、天草大好きなので、別件でふるさと納税してみようかと思います。

自分の「存在給」を信じることができたら、大企業を辞めなかった、かもしれない。

私は、かつて、業界大手ホワイト企業の正社員(総合職)でした。

それを自分から辞めました。

いろいろ理由はあるのだけれど、メインの理由の一つが、「そんなにたくさんのお給料をいただく価値が自分にはない」と思って、自分で自分をいじめていたからでした。

 

先日、「一生お金に困らない生き方」という心屋仁之助さんの本を読み、

人には「存在給」があるのだから、お金というのは別に何か価値を与えていなくても、そこに存在しているだけで受け取ってもいいのだ、という考え方を知りました。

 

そう思えたら、あの会社、待遇のいい会社、辞めなくてよかったよなあ。

 

私は総合職だったので、

一般職の人が「あの人(総合職)、高い給料もらってるのにちっとも働かない!デキない!」って陰口言ってるのが聞こえてきたりするといてもたってもいられず、

総合職たるものリーダーになるべき存在として周りを引っ張ってテーマを推進して、社内外でも通用するようなスキルを身につけてうんてろかんてろ…という研修を真正面から受け止めてしまってりして、

そんな「総合職あるべき姿」にぜんぜん近づけない、近づきたいとも思えない自分が本当に嫌で嫌でしょうがなくて。

 

会社にいると、やっぱり「給料=自分が与えた価値」ってことになるので、

それを突き詰めてしまうととてもしんどかったのです。

 

考え過ぎてたのかもしれないと、今になって思う。

 

今は歩合で仕事をしています。歩合はやったぶん=給料になります。

シンプルで、昔みたいに自分の与える価値と給料とのアンバランスを考えなくてよくはなったけど、

でも、私の時間は給料と等価交換なのかい!?って気分になってきて、それもなんだかなともやもやする、今日このごろなのでした。

 

「存在給」、あると思うんです。

最近ちょっとその存在を信じられるようになってきた。