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寝る前にその日1日にあったよかったことを書き出すと幸せになれる by DaiGo メンタルサプリ

DaiGoさんの「メンタルサプリ」という本を読みました。
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なんかいいこといろいろ書いてあり、実践レッスンみたいなのもついていて、ちゃんと全部実践したらめっちゃ幸せになれそうです(笑)
 
しかし、人はそんなにたくさん習慣化できないわけでして(と、この本にも書いてあった)、一つだけ取り入れることにした。
 
それは、これ。
 

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私は大木ゆきのさんの「宇宙にお任せするだけで勝手にうまくいく手帳2017」というのを遊び半分で使っています。
毎週、自己受容を高めるなどのワークがあるんですが、私は寝る前にとにかく「自分にはなまる」をつけているだけ…(笑)
(だって、やってもやらなくてもはなまるつけていいって書いてあったもん!!)
しかも娘にめっちゃ落書きされる。
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でも、この「就寝前にはなまるをつける」の習慣があるので、それに追加する形で、その日あったいいことを3つ書いていけば、結構幸せになれるんじゃない?
と思って、昨日やってみました。
(この、日常的にやってることにちょっとプラスする、というのが、習慣化にはとてもいいらしいです。メンタルサプリに書いてあった(笑))
まあ、もちろん1日では幸せにはなれませんでしたが、ちょいと続けてみようかと思います。
 

「よかった探し」は「視点を変えるゲーム」であって「点数をつけて勝ち負けを競うゲーム」ではない。

昔「愛少女ポリアンナ物語」というアニメがやっていて、その中でポリアンナがやっているのが「よかった探し」。

 

(なお、けっこううろ覚えなので、これから適当なこと書きますので、本当に正確な情報が知りたい方は調べてください。)

 

私が記憶している限りでは、、

ポリアンナはそんなに裕福でなかった。

それで、人形とかそういうこどもがほしーい感じのものが欲しかったのに、

届いた慰問箱の中には、松葉杖しかなかった。

それで落胆するポリアンナにお父さんか誰かが「でも、松葉杖を必要としていない、歩けるということはよかったね」というように説明する。

そうやって、物事のいいところを見つける遊び「よかった探し」を周りに伝えることで、ポリアンナは愛されて周りを幸せにしていく…

 

みたいな話だったかと(ほんと、適当ですいません!!)

 

ただ、ちょっと私の中で引っかかっていたのは、

「じゃあ、松葉杖を必要とする人の立場はどうなる??」ということだった。

「あー私は歩けるんだわ、歩けない人よりかはマシ」みたいな考え方って、なんかこうあまり美しくないと言うか健康的でないというか。

人と比較して、その優越感で自分の気持ちを盛り立てていくっていうのは、比較できるような人がいてこそ成り立つ論理であるからして、どんどん自分が落ちてって、比較できるような人もいない悲惨な状況になったらどうするんだろう、とか思ったりしてました。

 

この考え方、やっぱりちょっと大事なことを忘れてたなあと気づいたのです。

 

このよかった探しは、

「他の人の立場に立ってみたら、自分の持っている豊かさに気づくことができる」というゲームなのです。ただの、視点を変えるゲーム

別にそれぞれの人に何点って点数をつけて競うゲームではないんですね。

視点を変えるゲーム。それだけ。

 

それで、足が悪い人の立場に立って考えると、自分には、歩けるという豊かさがあると。

ここで終わりです。

あっ、私ってそういう豊かさがあるのねー、うれしいわ♪で、終了です。以上です。

「だから私は足が悪い人よりも価値がある」というジャッジをするのは、全くの蛇足です。

 

「視点を変える」ことと、「点数をつける・ジャッジする」こととがごっちゃになると、せっかくの「よかった探し」も台無しになってしまうのです。

私が長年誤解していたように。

 

麗しのパール柑、首都圏某所で購入!!

私は「パール柑」が好きです。
パール柑とは、熊本の天草が名産の柑橘です。
この季節にしか出回りません。
グレープフルーツにも似た味で、文旦とか晩白柚とかの仲間だそうで、
房からの身離れがいいところがすごい気に入ってます。

そんなパール柑、実家の熊本に住んでいた頃には簡単に手に入ったのに、実家を出て県外に暮らすようになってからは、なかなか…
まあたまには見かけるんですが、欲しいってときにはなかったり。
それで実家の母が私のことを思いやって、送ってくれてたりしました。

しかし毎年送ってもらうのも悪いなあと思っていたところ、
あ、ふるさと納税すればいいんじゃない?と思いつきました。
それで、去年は上天草市ふるさと納税で、パール柑8個とデコポン5個の詰め合わせを返礼品でいただくことにしたのです。

おいしく、いただきました。

で、今年も…と思っていたら。
品切れーー…
多分、デコポンが人気なんだと思う。
パール柑だけ15〜20個入りのやつはまだあったから。


しかし、それだと多いんだよなあ…

と思ってスーパー(首都圏某所)に行った。
そしたら、あったのですよ、パール柑!!
確かにそのスーパーは、マニアックな柑橘をたまに置いてあったりするので、ちょっと期待はしてたんだけど。
よろこんで、3つ買って帰りました!!

帰って、食べて、それがけっこう当たりのパール柑で、幸せいっぱいでした!
私見ですが、パール柑には当たり外れがあります。もし購入される際は、複数個購入することを強くおすすめします!

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上天草市への貢献って意味ではどっちがよかったのかなあ。
まあ、天草大好きなので、別件でふるさと納税してみようかと思います。

自分の「存在給」を信じることができたら、大企業を辞めなかった、かもしれない。

私は、かつて、業界大手ホワイト企業の正社員(総合職)でした。

それを自分から辞めました。

いろいろ理由はあるのだけれど、メインの理由の一つが、「そんなにたくさんのお給料をいただく価値が自分にはない」と思って、自分で自分をいじめていたからでした。

 

先日、「一生お金に困らない生き方」という心屋仁之助さんの本を読み、

人には「存在給」があるのだから、お金というのは別に何か価値を与えていなくても、そこに存在しているだけで受け取ってもいいのだ、という考え方を知りました。

 

そう思えたら、あの会社、待遇のいい会社、辞めなくてよかったよなあ。

 

私は総合職だったので、

一般職の人が「あの人(総合職)、高い給料もらってるのにちっとも働かない!デキない!」って陰口言ってるのが聞こえてきたりするといてもたってもいられず、

総合職たるものリーダーになるべき存在として周りを引っ張ってテーマを推進して、社内外でも通用するようなスキルを身につけてうんてろかんてろ…という研修を真正面から受け止めてしまってりして、

そんな「総合職あるべき姿」にぜんぜん近づけない、近づきたいとも思えない自分が本当に嫌で嫌でしょうがなくて。

 

会社にいると、やっぱり「給料=自分が与えた価値」ってことになるので、

それを突き詰めてしまうととてもしんどかったのです。

 

考え過ぎてたのかもしれないと、今になって思う。

 

今は歩合で仕事をしています。歩合はやったぶん=給料になります。

シンプルで、昔みたいに自分の与える価値と給料とのアンバランスを考えなくてよくはなったけど、

でも、私の時間は給料と等価交換なのかい!?って気分になってきて、それもなんだかなともやもやする、今日このごろなのでした。

 

「存在給」、あると思うんです。

最近ちょっとその存在を信じられるようになってきた。

可能と不可能のあいだでもやもやするときは、紙に書き出すんだ!

この4月に、現在認可外保育園に通っている娘が、認可保育園に転園することになったのですが。

 

今の認可外保育園は、けっこう親にやさしく、お迎えの時間は当日決めればいいし、おむつは持っていかなくていいしでいろいろいいところもありました。

先生方も良い方たちばかりで、文句なし。

 

ただちょっといろいろ考えて、今回認可保育園に申し込みました。

しかし、この園は今年度新しくできる園だったので、申込時はよくわからないことも多かったのです。

 

で、詳細がわかってきて、

お迎えは原則18時で、延長保育を利用するときは原則前の月の25日までに利用日・時間を決めておかないといけないとか、まあなんかいろいろ決まりごとがあることがわかった。

 

んで…

やっぱそのままでよかったのかなあ…なんて思うわけですよ。

 

悩むときって、

自分でできることしかできないのだから、

自分でできることについてはやればいい。

自分でできないことについては、悩んでも仕方ないから悩むな。

 

って言いますけど。言いますけどね。(出典は忘れました)

この「自分でできること」と「自分でできないこと」

「可能」と「不可能」の線引で、人は悩むと思うんですよ。

 

今回だと、

今のまま認可保育園に転園させるのか。

もう決まってしまったことなんだから「不可能」に分類して悩まなきゃいいんだけど、

 

「普通ならこのままだけど、もしかすると今の園に頼めばまだ残れるのでは?」

「ここで行動すべきか否か?」

「ああ、でも困った親だって言われるかなあ」

 

って、「自分ができること」をどれだけ広げられるかっていう可能性を、頭のなかで広げすぎてごちゃごちゃごちゃ…になって、悩んでしまうのです。

 

ここからここまでが「可能」、ここから先が「不可能」って、白黒はっきり自分ですぐにつけられたら、もっと悩まなくて済むんだけどなあ。

 

結局、紙に思いの丈をぶちまけました。

それである程度すっきりしました。(そのまま認可に転園します。普通か(笑))

やっぱり、紙とペンって素敵な相棒です。

ナリ心理学が好きです。長年の「自信がない」に解を出してくれたこの記事。

私は自信がありません。

例えば、私は、某・旧帝大を卒業しています。

はたから見ればエリートだろうとは思いますが、自信や自己肯定感にとんと薄い人間です。

学歴があれば自信満々、というわけにはいかないのです。

むしろ、「こんな学歴があるのに、こんな程度にしか仕事できなくて、恥ずかしい」とか思うのです。不幸です。

 

なんか、生きにくいなあ…と思ってました。

大学時代に、就活を控えてた頃、社会に出るのが怖くて、ブラジルに行きました。

でもブラジルに行ってすら自信はつかず、

ということは、自信なんていくら準備したってつかないんだから、ええい出てしまえと思って社会に出ました。

「自信なんていくら準備したってつかない」というのは、正しかったと思いますが、

じゃあ社会に出て自信ついたのかというと、まあそこそこ仕事もしてきましたが、自信がついてきた、自信が増えてきた、とは思えませんでした。

 

それで、自分に自信がないのはなんでだろう、生きにくいのはなんでだろうと考えていました。

最初は、親のせいではないかと考えました。

親もある一定の高学歴だったので、別に勉強ができる娘をほめたりとかしてくれなかったのではないかと。

でも別に冷たくされてたわけはない。「また90点なの?そんなんじゃ認められないわ、次は100点よ!」とか言われてたわけでもない(笑)

「80点なの、ふーん」「100点なの、ふーん」みたいに、単にニュートラルなだけだったと思う。

確かに、馬鹿みたいに大げさにほめてはなかったと思うけど、

勉強できたくらいでいちいちほめないというのも、ある意味まっとうだったと思う。

 

特別親のせいってわけでもないとすると。

じゃあなんだ、この自信の無さは。

 

それで、心とか、スピリチュアルな世界に目が向いた。

(私は、大木ゆきのさんも好きです。ブログがなんか前向きだから。)

「あなたは存在するだけで価値がある。」

でもなかなかそれを頭から信じることができない。

けっこうそういう人は多いらしく、スピリチュアル・心系の活動をされている方のブログとか本とかは、いろいろ懇切丁寧に、存在するだけで価値があると思えるようなあの手この手を教えてくださる。

ナリ心理学も、この流れのなかで知った。

 

「あなたは存在するだけで価値がある。」と思ってみる。

心からは思えなくても、思ってみるだけで、なんかちょっと気が楽になった。

 

それで、最近この記事を読んだ。

 

k-nali.hatenablog.com

 

 

「正解」と「不正解」があると思うから、

そして「正解しよう」と思うから、

つまりは、間違えられないから、間違えたらダメだ!と思うから、

だから自信がないんだ、ということが書いてあった。

 

ほんとね…そのとおりだと思ったの!!!!

間違えていい、別に正解しなくていい、ならば、ぜんぜん怖くないから、「自信がある」って状態になるよね。

ああ、ほんとだ、そのとおりだ…ってすごく腑に落ちた。

 

こう合点して、それですぐに、

「正解しなくていい」とか、そもそも正解なんてないんだとか、

(ナリ心理学では、ジャッジをやめる)

すぐには思えないんだけど、

これを理解するのとしないのとでは、ちょっと気分が変わる。

 

人はすぐには変わらない。じわじわ、体に染み込ませていこう。

やまと尼寺 精進日記「文月 万葉ハーブの贈りもの」を観て髪を切った私。

私はこれを観て、ボブ→ショートカットに髪を切りました。

www.nhk.or.jp

 

 

「やまと尼寺 精進日記」という、たまーにやってるNHKの番組があって、

ある夏の日、それをなんとなく録画して観ていた。

(純和風ベニシアさん(猫のしっぽカエルの手)みたいな番組。)

 

尼寺で、尼さんが、山菜をとってきたり銀杏ひろってきたり、あと檀家さんからいただいたものをつかって、丁寧な仕事で日々のごはんを楽しくつくる、という感じの番組。

観ていると、眠たくなります(笑)

 

ただ、やっぱり日々の暮らしを丁寧に、恵みを余すところなく使い切る、という姿勢がとてもとても素敵に思えて。

そして、観ながら思ったのは、坊主頭、いいなあ、ということ。

いちいち、毎朝ヘアスタイルに思い悩むなんてことはないわけだもんなあ。

煩悩知らずだよなあ…

 

と考えてたら、とても坊主にしたくなったけど、さすがにそれは女性なのでそこまでは思いきれず、

でもできる限りのことをしようと思って、けっこうこざっぱりと髪を切ってしまったのが去年の夏。

結果、すごくいい!すぐ乾くし。

そして、なんかいろいろ面倒になって、石鹸ボディーソープで髪から体から全部あらうみたいな生活になってしまった。(リンスはします。)

自分に必要な物品が減っていくっていうのはいいですね。(この場合だとトリートメントとか。)心地いい。

災害時のこと考えても、少ない物でやっていける能力は大事にしたい、日々気にしていたいと思う。

 

どうもこの番組、次が近々あるようなので楽しみにしてようっと。

まあ、眠くなってしまうんですけどね(笑)

www4.nhk.or.jp