なにか、いいこと Somethingood みとの日記

日々考えたことを綴っています。

食洗機が自分にはまらなかった理由。

前に、食洗機を持っていましたが、全く活用できていませんでした。
昨年引っ越しをしたときに、置く場所がなくなったこともあって廃棄しました。


私が、食洗機を活用できなかった理由について考察します。

 

1.食洗機の性能に満足できなかった
私の持っていたのは、象印の「ミニでか食洗機」でしたが、
洗い上がりに不満を感じることが多くありました。
皿の形状が悪かったのかもしれませんが・・・
そのため、食洗機で洗ったものをまたさらに洗い直すという手間がありました。

 

2.入らない皿が多かった
うちの皿と、この食洗機との相性が悪かったのか、入らないものが多くありました。
また、水が溜まってしまってうまく洗えない形状のものも多くありました。
そうすると、入れられるものがそもそも少ないので、そのために食洗機を回すのも…という感じになりました。
記憶が定かではないのですが、象印の「ミニでか食洗機」には、皿を入れるかごの形状が、皿に合わせて動かせるものと動かせないものがあったような気がしまして、
動かせるほうが高かったので、安いほうの動かせない方を買ったのです。
それが悪かったのかもしれません。

 

3.皿を片付けるのがめんどくさかった・片付ける習慣がなかった
これは、そもそもの私の家事行動の問題なのですが…
皿を、水切りかご又は食洗機から片付ける、という作業がものすごくめんどくさいことだと思っていたのです。
(今もそうですが、前よりはましになりました・・・)
なので、洗い上がった皿を食洗機からどける作業が、ものすごくおっくうで、そのためなかなかやらなくて、
洗い上がったものがある状態で、その上に手洗いした食器を載せる、ということを平気でやっていたのです…


これらの要因が相まって、食洗機はだんだん使われなくなり、
ただの水切りかごと化していたのでした…

 

よく、食洗機に全部皿洗いを任せる、水切りかごは使っていない方もいらっしゃるかと思うのですが、
そのためには、
・ちゃんと自分の家の皿が入る、大容量できれいに洗える食洗機を使う
・ちゃんと洗った皿を片付ける習慣をつける
が必要だなと思いました。

 

どの食洗機なら自分が満足するかっていうのは買ってみないとわからないので難しい…
でも、皿を片付ける習慣は身につけるべきだった…と思います。

最近はこの、皿を片付ける習慣を身につけるべくがんばっています。

侍ジャパンは別に卑怯でもなんでもないと思う。合理的。

昨日、日本対ポーランド戦を観ていました。
news.yahoo.co.jp

私は、ここでそれにかけることのできる西野監督は本当にすごいと思ったし、
無駄にがむしゃらにやるのをよしとする日本文化の中で、ああいうスマートで合理的な戦略を実行できるというのは、すごいと思った。

勝っても負けても非難されるのはわかってて、かけることができるって本当にすごい。


あの状況で、ダメ元でがむしゃらにやれっていうのは、
ブラック企業とかさ、特攻隊とかさ、そういうものを彷彿とさせません?
だから、日本も変わったな、いいな、とすら思いました。

 

だいたい、非難すべきはむしろルールのほうじゃないですかね。
ルールが、ああいうプレーのほうが合理的だというルールになってるから、観客が観てて面白くない試合になるのであって。

まあ、観てても面白くないのは確かでしょうね(笑)

 

今回のは、ルールに則って正々堂々と戦ってるだけなんだから、卑怯でもなんでもないと思う。

 

うまく表現できませんが、ゆりさんがすごくうまく表現してくださってたのでリンクを貼ります。

takehisayuriko.tokyo

 

そして、ざっと調べた感じ、本田選手、カズ、武井壮おぎやはぎは、西野監督に肯定的でした(何をしとるんじゃ私は)。

この人達をちょっと好きになりました。

 

しかし、重要選手の方々も体を休めることができたし、ぜひとも日本代表にはこれからも頑張ってもらえると楽しいなあ、と思います。

 

っていうかさ、別に勝っても負けても自分の人生には関係ないんだし、
観る側も楽しんでいきましょうよ。

おねしょシーツのおしっこのにおいには、クエン酸が効く!

私、感動しました。
あのニオイが、一発で消えるなんて・・・!

 

娘が、保育園でおねしょをよくします。
なので、防水加工のしてあるおねしょシーツを使用しているのですが、
これが、くさい・・・のです。
持って帰ってすぐ洗える日もあれば、次の日になってしまう日もあって、
使っているうちにおしっこのにおいが取れなくなってしまうのです。
酸素系漂白剤をぶっかけたことはあったんですが、ニオイはとれなかったんですよね。

 

そんなある日、筆子さんの「それって、必要?」を読んでおりましたら
(この本、すごくよかったです。筆子さんのブログよりもまとまっててよかった)

 

 「アンモニアのにおいにはクエン酸がよい」と書いてあったのです。

 

・・・そうだよね、アンモニアを中和すればいいんだよね・・・
・・・ん? ってことは、おねしょシーツもクエン酸に漬ければいいんじゃない?

 

と思いたち、検索してみたところ、やっぱりおしっこのにおいにはクエン酸が良いらしい。

 

しかし、結構そのクエン酸の「濃度」を書いてる記事がないんですよね。

 

濃 度 を 書 け

 

仕方がないので、クエン酸スプレーと同じくらいにしてみたらいいのかな?と思いまして、
クエン酸スプレーの濃度を調べました。


一般的には、
普通のクエン酸スプレー:カップ1(200ml)の水にクエン酸小さじ1
濃いめのクエン酸スプレー:カップ1(200ml)の水にクエン酸小さじ2
というところだったので、このあたりの濃度でいってみました。

 

4Lの水に、かなーり適当に大さじ13杯くらい(ほぼ、カップ1ですね)入れて、シーツを一晩漬け置きしました。
朝、それを水ですすいで、他の洗濯物と一緒に洗濯石鹸で洗濯機で洗いました。
なぜ水ですすいだかといえば、石鹸もアルカリ性なので、クエン酸を入れてしまうと中和されて石鹸の洗浄力が落ちると思ったからです。

 

結果。
おしっこのニオイ、完全に取れた…!
今までなんだったんだ、という感じ。

 

このときは失敗したくなかったので、クエン酸濃度をかなり濃い目にしましたが、

(使ったあとの液体でお風呂の鏡をパックして、メラミンスポンジでこすったら、ピカピカに!笑)
多分ここまで濃くなくてもよさそうでした。


そこで昨日、また娘がおねしょしたので、そのシーツ(袋を開けたらアンモニア臭が!!笑)を、
水4Lに、大さじ2杯くらいのクエン酸を入れた水
に5分位つけて、すすいだあと、洗ってみました。
すると・・・ニオイはすっきりなくなりました!!
もう少し薄くてもいいかもしれないです。

 

アンモニアと酸の中和というのは、瞬時に起こる反応なはずなのので、そんなにつけおかなくてもいいかなとは思ったんですよね。
NH3 + R-COOH → R-COO- + NH4+

もっと薄い濃度で、クエン酸をこれからも活用していきたいと思いました。

 

おしっこのニオイに悩んでいる方、本当におすすめ!!

人は、幸せ(金持ち、楽してして成功、有名、など)になるために生まれてきた、のではないのだなあ。 「だから、あなたの「幸せ」は苦しい。」 竹久友理子 感想

 竹久友理子さんの、「だから、あなたの「幸せ」は苦しい。」を読みました。

 

 

竹久友理子さんは、
ブログ

ameblo.jp


を書いておられて、
私は、その内容に、共感したりしなかったり、わかったりよくわからなかったりしながらも、
なんかちょっとひっかかる、気になることを書かれておられるので、愛読させてもらっています。

 

さて、この本、まずは読んでよかったと思います。
以下、気になったところを要約して、感想を書きます。
要約は、ニュアンスなど違うかもしれませんが、私というフィルターを通すとこうなったとご理解いただければと思います。

 

1.自分の一日の中身を変えずに、どうしたら自分が笑顔でいられるかどうかを考える。どう自分が変わったらイライラせずに済むのかを考える。(人を変えたり、世の中の常識が間違ってる!などと糾弾するのでもない)
これを続けていくと、日常の中にある幸せに気付けるようになる。

 

→これ、今すぐにでもやってみようと思いました。

 

2.人は幸せになるために生まれてきた、という前提が人を不幸にする。
人は、幸せになるために生まれてきたのではなく、経験するために生まれてきた。
いい経験悪い経験、両方して、自分という存在が一回りも二回りも大きくなるために生まれてきた。
幸せな経験だけを繰り返し体験するために生まれてきたのではない。
人の人生に、いいも悪いもない。金持ちだからいい人生、貧乏だから悪い人生、ということはない。

 

→スピリチュアル的なブログとかに触れていると、
なんか、「幸せじゃないと間違ってる」「好きなことを極めていけば絶対成功する」
みたいな雰囲気がただよっていて、
「じ、じゃあ、今の私のうだうだした状況って、スピリチュアル的に、やっぱなんか間違ってるんだよねぇ…」という、よくわからない自己否定につながります。私の場合は。
でも、なんかそれも妙だよなあ…という感じがしていました。
で、「経験するために生まれてきた」というのは、なんだかしっくりきたんです。
いい経験も悪い(辛い)経験も、全部体験するために生まれてきたんだと思えば、
辛い経験をして、「あれ?スピリチュアル的に間違ってる?」みたいなよくわからない袋小路にはまることはないので。

だいたい、「間違ってる?」っていう問いが発生してしまう時点で、私の心に「正しい答えが一つ、それに合わせなければならない」っていう刷り込みがあることの証明ですね。
そして、この本では、正しい答えが1つという思い込みはよくない、答えは無数にあるのだということを知るべきだと書かれています。
全くそのとおりだ。。


3.人生はコントロールできない。
コントロールしたい、自分の都合のいいことだけ引き寄せたい、失敗したくない、と思うがゆえに、失敗を含めた経験もせず、保身に走ると、余計に恐怖が増す。
それは、周りの人をコントロールするけど、常に暗殺などの恐怖に怯える、独裁者のよう。

 

→まず、「人生はコントロールできない」。
引き寄せをやってみよう!と思う人は、人生をコントロールしようとしている人で、
でも普通引き寄せってうまくいかないので、なぜできない!?とできるはずのないことをできると思いこんで、無駄に挫折感を味わうのです。
で、コントロールしようとするから、コントロール不可のものが恐怖なんです。
すごいわかります。私も、失敗する恐怖から挑戦しなかった者の一人だという自覚があるので。
「独裁者」っていう例えがすごく言い得て妙だと思いました。
そっかー、コントロールできないものはしょうがないね、自分にできることだけやっていこう、という前向きで現実的な方向に自分が向きました。

 

4.独裁者の恐怖から逃れるためには、小さな経験を能動的に積むとよい。
できるはずなのになぜかしてこなかったことをやる。
自分自身で達成できる、他人からの評価を必要としない目標を立てる(例えば、神社を自転車で100社めぐるとか)。
今の自分よりほんの少しだけ高いハードルを超えるだけで十分、やり遂げると爽快な達成感が味わえる。
繰り返すと、自分にとって必要な経験が刻まれ、さらに経験しないからこそ起きるサスペンス状態(物事が、起こるのか?起こらないのか?と起こる前からハラハラする状態)から、ほんの少しずつ抜け出せるようになっていく。
経験が足らないからこそ生まれてしまう自信のなさも補えるようになっていく。

 

→本当に、これをやると、コントロールできない、失敗の恐怖、独裁者の恐怖から逃れられるのか、という「どうしてこれをやったらそうなるのか」のが、なんかちょっとよくわからなかったのですが、
こういうのは、やってみてわかるものだと思うので、まずはやってみたい。

やって損するわけでもなし、
恐怖から逃れられるかどうかは別にしても、
自分自身に小さなハードルを課して、それを超えることで自身を成長させていく、
というのはとてもよいことだと思ったので、やってみたい。
先日書いた薄井シンシアさんの本にも、これに似たようなこと(恐怖から逃れるためではないですが)が書いてあったので、
絶対いいことあるんだと思う。

 

somethingood.hatenadiary.jp

 

 

ということで、「だから、あなたの「幸せ」は苦しい。」は、良い本でした。


・竹久友理子さんのブログの内容にひっかかるものがある人(当然ながらブログよりまとまってて読みやすいです)
・スピリチュアルが好きだけど、同時に限界も感じている人
・幸せになりたい、と思っている人
などにおすすめできるかと思います!

ニックネームをつけました。「みと」です。よろしくお願いします!

今更かよ!という感じですが・・・
私、idが「somethingood」なんですが、ずっと、これなんて呼んでもらえるんだろう?と考えてました。
ちなみに、「somethingood」は、「なにか、いいこと」を意味する、なんちゃって造語なんですけどね。
でも、なんて呼んだらいいかわかんないですよね。私もわかりません(笑)

 

というわけで、ニックネームをつけました!
「みと」とすることにしました。
これからみなさん、どうぞよろしくお願いいたします!

 

「みと」は、はてなブログProにすることもなく、なんか更新が途絶えたかと思ったら突然また書き出したり、とやる気のないブロガーです。
でもなんで一応続けてるのかと言ったら、それは多分、
「現実世界で人に話す機会がないことを、どこかで人に伝えたい」からです。

 

人間、家庭なり社会なりと接点をもっていても、
「これ、別にここで話すことじゃないなぁ…でも話したい」
っていうことがあるのではないでしょうか。
私にはあります。

 

例えばなんでしょうね、私はわりと本の感想を書き散らしてますが、
本を読んで、これこれこうですごくよかったよ!って、あんまり人に言う機会ってないんじゃないかな。
でも、なんか目のとまる人には伝えたい。
そういう欲求のはけ口として、このブログはあります。
あわよくば、その情報が、このブログの目にとまったみなさんの役にたてばいいなと思っています。

 

ブログ始めた当初は、ブログでお金稼ぐとかも目論んでいたのですが、自分にはそこまでの熱意はなさそうだということが、ブログをやってみてわかってきました(笑)

というわけで、Proの代金払うのも惜しくて、まだ無料のまま。
でも、書き散らすこと自体が楽しいし、その内容がいくばくかどなたかの役に立ったり、交流ができたりもしているので、もうそれだけでうれしいので。

 

そんな感じで、一応続けていきます。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします!

プライドを持つことと捨てることの両方が大事。 専業主婦が就職するまでにやっておきべき8つのこと 薄井シンシア を読んで

梅つま子さんのブログ記事を読んで、

www.tsumako.com

 

読んでみました、「専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと」! 

専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと

専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと

 

すっっごい、よかったです、読んで!

ありがとうございます、梅つま子さん!!

 

私はKindleで読んだので、付箋はついてないですが、ハイライトがめっちゃつきました!!

ざっくりした感想としては、主婦業、がんばろう!と思いました。

 

この感想を書く、私の状況なんですが、

4歳の娘を保育園に通わせる、一応はワーキングマザー。
しかしその実態は(?)、
二人目不妊治療をするため、不妊に大敵なストレスを減らすため、
そして子育てを余裕を持ってするために、
会社に頼んで業務の幅を縮減し、勤務時間を半分ほどに減らしてもらい、
週3日か1日4時間勤務くらいの感じで、在宅勤務をしている、主婦です。

 

この勤務をし始めて最初は、
生活に余裕ができたことを謳歌し、
治療に通い、読書をし、買い物に行き…
みたいな生活をしていたのですが、
なんかだんだん、正直ダラダラしてしまって、なおかつ子どもにもあまり手をかけられてない気がしていて、

これでいいんかい私は、という気持ちが出てきていました。

不妊治療の成果も出てないしね…まあここは神の領域なのであれですが)

 

もっとがしがし仕事したほうがいいのか、年金だって今のままだと少ないしなあ、
でもそれやるとほんとに子どもにイライラしてしまうからなぁ、
でも、昔の一般企業の同僚とかは、子育てもして仕事もフルタイムで総合職で頑張ってるんだろうし、しかもお金も結構もらってるんだろうし…
とか、なんかよくわからない堂々巡りをしていました。
さらに言えば、そういう大企業に努めてて年金が保証されてる人っていいよなあ(自分で辞めといて何を言う)、実家が近くにありさえすれば私だってがしがし働けるのになあちくしょー(そんなことは言っても始まらない)、とか、
考えても無駄なことばかり考えていましたとさ…

 

そんな私に、喝を、この本は入れてくれました。

 

内容は、梅つま子さんの記事などを読んでいただければわかると思うので、ここは私の感じたことだけを述べます。

 

・主婦業(家事・育児)を、「仕事」のようにやろう、と思った。

 

専業主婦は、会社ほど時間に追われていないので、ダラダラになってしまう。
あと、時間だけじゃなくて、「何をどこまでやれば及第点なのか」というのも見えてこない。
だから、自分で時間なり業務範囲なりを決めるということで、「仕事」のようにメリハリもって、またプライドを持って、主婦業ができそうな気がした。
外資系企業で就業時に書く「ジョブ・ディスクリプション」を、主婦業でも書くことを推奨していたので、書いてみよう!

また、お金は発生していないが、夫に養ってもらうという「給料」を得ているのだから、というプライドを持って主婦業をしたほうがよいと思った。

 

 

・私も、子育てが一段落してから、外で働くことをメインにしたキャリアにしたい、とすごく思った。

逆に、今は子どもをメインにした「キャリア」なのだから、だらだらと過ごしたり、子どもを後回しにしてしまうことなどは、あってはならないこと。
ほんとね、もっとしっかりしろよ自分、と言われた気になりましたよ…

薄井シンシアさんは、そういうキャリアが一般的になるために、頑張れ50代専業主婦!とおっしゃっています。

今の50代専業主婦には、働きたいのであれば、勇気をもってもらいたいし、後に続く我々も、勇気をもってこれからの人生を歩んでいきたいものだなと思いました。

 

・この箇所にものすごい共感した。

あれから三十年。専業主婦世帯を共働き世帯数が大きく上回り、ワーキングマザーの活躍が真剣に論議される時代になった。しかし私には、この状況はシーソーゲームのように、単にマジョリティが入れ替わっただけに見える。ダイバーシティ(多様性)や生き方の個性尊重をいわれながら、それぞれが自分に合わせて「私は働く」「私は専業主婦になる」という選択が余裕をもってできるほど、社会にはまだ多様なオプションは用意されてはいない。

私は、「なんとなく専業主婦のほうになりたいんだけど、なんか働けって言われるしなあ…」みたいなうだうだした感じで暮らしていて、
なんだかなあって思っていたのだけれども、

このご意見を読んで、そりゃ私、そう思うよねって思った。
マジョリティが「共働き」だから、共働きが推奨されているから、という理由で、専業主婦という選択が、なんか後ろ暗い感じに思われる。
昔は、マジョリティが「専業主婦」だから、専業主婦が推奨されているから、という理由で、働くという選択が、後ろ暗かったわけで。
なんか、だから「働いてなんかやるもんか!」みたいなよくわからない反骨精神(そんな立派なものじゃない、たんなる反発かな)が、私の中にあったりする。

 

総じて、

自分が取り組むことにプライドを持って取り組むことと、
就職しようとしたときに、自分を安売りしたくないなどという無駄なプライドを持たずに、雇ってくれるところに雇ってもらうということと、
プライドの持ち方と捨て方の両方の大事さを教えてもらったような気がしました。

 

体が疲れてるときなんかは、この本に書かれているように過ごすことは無理だと思うんですけど(薄井シンシアさんはかなりストイックだと思います)、

体力と気力のある限りはこのように暮らしていきたいと思いました。

 

とりあえず、読んで損なし!かと思います

ひろさちやの笑って死ぬヒント ひろさちや 感想

※2018年3月に書いた記事だったんですが、なんか公開しそびれてたことに気づいたので、公開します。

 

図書館で借りた本。

これ、すごくおもしろかったです。

絶版かー、中古で買おうかな・・・

 これを読んで、私は、なんでもいいから何か信仰しようかと思いました(笑)

不安に怯える人間に対し、神は、仏は、なんと寛容なのだろうかと。

 

ただ、私は飽きっぽいので、ほんとに団体に入ると辞めるのが大変だから、

宗教を学んで自分に取り入れたいところだけ取り入れる、というようにしよう。

 

さて、この本の印象に残ったところなんですが、

未来のことは誰にもわかりません。

努力して成功するときもあれば、いくら努力しても失敗することもある。人生とはそういうものだという当たり前のことを、宗教心に欠ける日本人はわかっていないのです。

 

いやそうなんだよ!!(笑)

それが宗教心に欠けるからだ、とは思っていなかったけど、

この「人間努力主義」の行き過ぎた日本が嫌いです。私は。

これに対しひろさちやさんは、「神下駄主義」を唱えてらっしゃいます。

神とか仏とかに、下駄を預ける主義です。おまかせしちゃうのです。

 

この本で、イスラム教の「インシャラー」という言葉が出てきました。「アッラーの御心のままに」「神の御心であれば」という意味だそうです。

未来のことをいイスラム教徒が語る際には、必ず「インシャラー(神の御心があれば、神の思し召しであれば)これこれをします」という言い方をしなければならないそうです。

なぜか。

未来はすべて神の権限下にある。そしてわたしたち人間には未来に対する一切の権限がないというのが、イスラム教徒の基本的な考え方だから、だそうです。

 

最初、めんどくさいなイスラム教徒(笑)と思ったのですが、

読み進めると、こんなに優しい社会はない、と思いました。

ひろさちやさんが、パキスタンのホテルに、「明日八時に迎えに来てくれ」とガイドに

頼んだところ、「分かった、インシャッラー」と言ったそうです。

で、ガイドは十時にやってきました(笑)

で、ひろさちやさんが怒ったら、彼は「あなたに怒る権利はない」と。

「私は昨日、インシャラーと言ってあるじゃないか。神様が望んでおられたら八時に来た。でも、教は神様が望んでおられなかったんだ。あきらめろ」

だそうですよ!!

 

翻って私の話。

私は締切厳守のしごとをしているんです。

で、この仕事をしながら思うんです。いやだなあ、と。

何が嫌なんだろうと考えてみたら、「締切が守れなくて怒られるのが嫌」なんです。

だから、できるだけ仕事を請け負いたくないとすら思っている。

周りからは、仕事をあまりしない、ナマケモノだと思われてるかもしれません。

でも、そういうことじゃないんだよなぁ。

 

日本は「人間努力主義」だから、締切が守られなかったら、それは仕事を請け負った私のせい。私が悪い。そうなっちゃう。
だから、悪くない私であるために、あまり仕事を請け負わない。なのです。

でももし、「インシャッラー」って言ってもいいって言われたら、もっと仕事するかも。
だいたいが、自分の努力でもどうしようもないことって多々あるのに、「仕事は必ずやる、それが当然」とされている社会。

地震とか。もっと頻度高いやつなら、子供の発熱とか。
本当に、この人間努力主義の社会はつらい。

イスラムの社会って、なんて優しいんだろう。

 

私は常々、「働きたくない」「責任を取りたくない」と思っていて、
それをちょっと恥じたりもしていたのだけれども、
むしろ、「自分ではどうしようもないことがある」という真理が見えていて、その現実に対応するためにそういうことを思っている・・・


という面もあるかもしれない。