なにか、いいこと somethingoodの日記

日々考えたことを綴っています。

「潤うからだ」を読んでやってみたこと。大事なのは清潔と保湿。

このお二方のブログを読んだのをきっかけに、「潤うからだ」を読んでみました。

 

minimote.hateblo.jp

mikikotherapy.hatenadiary.jp

 

潤うからだ (美人開花シリーズ)

潤うからだ (美人開花シリーズ)

 

 

なんで読んでみようかと思ったかというと、女性のデリケートゾーンについては無知であるという意識があったからです。(無知の知?)

 

娘が産まれた時、

陰部をどの程度洗ったり拭いたりしてきれいにしてあげたらいいのかわからなくて、

私の母(娘のおばあちゃん)に聞いたら、

「あんまりさわらないほうがいいんじゃないの?」

って言われたので、そうしておりました。

しかしある日、母乳外来で産婦人科に行って、自分を見てもらっている間に助産師さんに娘を預かってもらったのですが、

その間にオムツ替えをしてもらって、

その時に、

「白いカスがたまって臭くなっていましたよ!」

と怒られ、

そうか、ちゃんときれいにせねばならんのか・・・と反省したことがある。

私の無知もさながら、私の母も無知だったということで、

このあたりはちゃんと教育されていないなという実感がある。

 

女性のデリケートゾーンについては、

「無駄に」卑猥にとらえる、又は「無駄に」神聖な物としてとらえているため、

なんにせよあまり語られない・・・と思います。

もっとニュートラルに取り扱ったらどうか。

セクシャルな部分はちょっとためらうかもしれないけど、

生理学的な側面については、もっとニュートラルでいいのに。

 

そんなこんなで読みました。

要するに大事なのは

・清潔

・保湿

でした。

 

・清潔

については、自分が思っていたよりも入念に洗っていいということが分かりました。

 

・保湿

については、そんなことしていいの!?って思ってました。

なんか、なんも塗っちゃいかんような感じがしていました。

でも、考えてみれば、体の他の部分で例えれば「唇」なわけで、

リップクリームというものが存在するように、

唇のような薄い皮膚でできている部分は、リップクリームに値するような保湿剤で、ちゃんとケアしてあげんといかんのだなあと反省しました。

下着が水気を吸ってしまうので、けっこう乾燥しているみたいです。確かに!

 

清潔も保湿も、専用のものを使うようにとありましたが、

すぐに手元にはなかったので、

お風呂のときにお湯で洗い、

そのあと、なんも塗らんよりはいいだろうとベビーワセリンを塗ってみました。

そうしたとこころ・・・

 

・・・むずがゆかったのが、止まった・・・!

実はこのときまで、「むずがゆかった」という意識すらありませんでした。

それがデフォルトだったから。

そうか、この状態は普通じゃないんだ、もっとちゃんとケアしないといけないんだなということがわかりました。

 

あと、ケアするに当たって、どう考えても毛が長すぎる。アプローチしにくい。

なので、とりあえず短くしてみました。

結果、いろいろ快適になりました。

脱毛まではちょっと難しいですが、ちょこまか切ってメンテナンスしていこうと思いました。

 

本に書いてあること全部を実践するのは難しいかなー、とか、

そこまでしなくてもいいかなー、と思うようなところもありましたが、

ベストなものが何かを知れたのがよかったです。

自分にとってのベストを探して実践していきたいです。

 

しかし、知識って大事。

堀井みきさん、ミキコさん、ありがとうございました。

浅型バスケットいらずを自作するの巻

n00さんのブログで前紹介されていた「バスケットいらず」を使っています。

www.n00life.com

 

シンクのゴミ受けを洗う手間がなくなって、すっきり!

 

と思っていたんですが・・・

 

うちの排水口のバスケットは、「浅型」っていうのかなあ、

深くはなくて、この「バスケットいらず」だと、下のところが余ってしまうのです。

 

そうすると、なんか下の余った部分が水にひたってしまって、

うーん、生ゴミが水にひたりっぱなしだなあ・・・という感じで気持ち悪い。

 

メーカーのホームページも見てみたんですが、どうも浅型はないらしい。

www.daicelfinechem.jp

 

仕方がない。たくさん買ってしまったし(笑)、浅型を自作しましょう。

 

ネットはこんな感じです。

 

f:id:somethingood:20171130171545j:image

 

これを縦半分に折り、底のところを3回折ってホチキスでとめる。

これだけ!

f:id:somethingood:20171130171602j:image

 

もう、たったこれだけのことなんですが、

いつもバスケットをみて「・・・はあ」と思っていたモヤモヤが解消。

すっきりしました!

 

・・・本当は、設置した状態の写真を載せればいいんですけどね、

皆様におみせできるほどきれいではないわけです(笑)

 

こうやって、小さい工夫で暮らしがすっきりしていくのはいいですね。

ゲストハウスに行ってみたくなった! ドキュメント72時間「ゲストハウス 1泊3千円のオアシス」を観て

ゲストハウスというのは、面白いらしい。

でも、小さい子がいるということもあって、気軽には一人旅ができない身。

なので、自分には無理というか、関係ない気持ちでいたのだけれども、

やっぱり興味はあって、これを観てみた。

www.nhk.or.jp

 

・・・

ゲストハウス、めっちゃおもしろいな!!

 

すごくいろんな人たちがいて、

けっこう大きいゲストハウスだったのだけれども、それでも心地いい空気が流れているみたいだった。

 

印象的だったのは2つ。

介護職の女性が、NHKのスタッフに「なぜその仕事をしているのですか?」と聞かれたときに、

「それ、よく聞かれるんですけど、どうしてそう聞くんですかね?確かに、この仕事はきつくて大変だけれども、こんなにも人のために、この人にどうしてあげたら幸せかなあって考えてあげられる素敵な仕事ってないと思うんですけど。」みたいな感じのことを答えていて、

ものすごーく、かっこいいなと思った。

好きなことをちゃんと自分でわかっていて、筋が通っていて。素敵。

 

もうひとつは、

ある男性が、ゲストハウスに泊まっている人たちの顔がいいと。

みなさん何かにチャレンジしていたり、個性があって楽しそうな顔をしていると。

そう語っていて、

そういう楽しそうな顔をした人に会いたいなあって思った。

自分はどうなんだろう。

 

 

このゲストハウスは川崎にあって、

私の住むところからは、何も泊りがけでいくとこじゃない場所なんだけれども、

・・・これは、用がなくても行っていいのかしら??

別に宿代さえ払えば、文句言われたりしないよね??(笑)

でも、今は人気が高まってたりするから、落ち着いた頃に?

 

小旅行。いいかもしれない。

やまと尼寺 精進日記「霜月 秋たけなわ 軒に干し柿」を観た。

やまと尼寺 精進日記「霜月 秋たけなわ 軒に干し柿」を観ました。

www4.nhk.or.jp

 

やはりこの番組はいい。

もうね、尼さんたちがケラケラ笑って楽しそうにしている。

こういうふうに暮らしたいなあ・・・って思わされる。

 

それで、ちょっと似たような番組で「猫のしっぽカエルの手」というのがあるのですが

www.nhk.or.jp

 

私はこれも好きだけど、これよりも、やまと尼寺のほうが断然好きだ。断然好きだ。(2回言った)

 

なんでかなあと考えてみるに、

まあ尼さんも、猫のしっぽのベニシアさんも、楽しそうには暮らしているんだけど、

ベニシアさんのほうが、現代社会を批判的に見るような感じがある。

一方で尼さんたちは、もちろん必要に迫られてっていうところもあるんだろうけど、楽しそうに暮らしをしている。

 

まあ、尼さんとベニシアさんの違いというよりは、もしかすると、NHKの現象の切り取り方・見せ方の問題かもしれませんけどね。

 

例えば、エコとか、自然にやさしいとか、持続可能なとか、大地の恵みを大切にとか、

そういうのって、現代社会に対峙するものとしてとらえてしまうと、どうにも義務というか重い感じがしてしまって、ちょっと敬遠してしまう。

でも、楽しいよ!っていう見方だと、いいなあ、やってみたいなあっていう感じになる。

 

原発反対!っていうよりも、原発なくても楽しい生活を工夫してできるよ!のほうがいいなあ、っていう感じか?

 

先日、A1理論さんのブログで「亀時間」という本が紹介されていて、

この著者の方が、トランジション・タウンという市民運動が、反対運動ではないというところに惹かれた、ということが書いてあった。

okite.hatenadiary.jp

 

ああ、なんかこれすっごいわかるなあ…と思いました。

(それで興味を持った亀時間、買ったけどまだ読んでない…)

 

そして、この感覚と、「猫のしっぽカエルの手」よりも「やまと尼寺」のほうが好きな感覚とは、同じなのかなー、と思いました。

 

亀時間、読もう。できたら行こう。

子どもの欠点を見つけてしまう、それは親心なのだと知った。

うちの娘は、度胸があります。

全然人見知りしないし、怖いもの知らずで、新しいことでもわりとどーんとぶつかってチャレンジできるタイプ。

 

そんな娘を見て、保育園が同じママさんが、

「いいですね、○○ちゃんは度胸があって。うちの子はびびりで・・・」

と言ってくださったのだけれど、

私はそれに、

「いやいや、慎重さも大事だと思いますよ!」

と返していた。

 

子どもの長所を伸ばして伸ばしまくれ、というのが、子どもが伸びる子育てだと思うし、

私もそういうふうに育ててほしかったなあ、そうしたら自分に自信が持てたかもしれないなあって思うんだけれども、

親から見れば、「もっと慎重さ持って欲しい。変に失敗してほしくない」と思うものなのだなと。

そしてそれは、「我が子にできるだけ幸せになってほしい」という願いから来ているのだと。

そういうふうに思ったのだった。

 

まあ、保育園のママさんに、そうなんですようちの子はすごいんです!って返すのもちょっと気が引ける(いや、引けなくていいのか)ので、

せめて家ではほめてほめてほめまくりたい、できるだけダメ出しせず!と思ったのでした。

 

 

あと、この気付きは、だからうちの親も、幸せになってほしいって思ったから欠点にも目を向けさせたのだろうなと思うし、

自分が欠点に目を向けるのだって、自分にもっと幸せになってほしいって思ってるからだから、

そういう(親からの・自分からの)親心をわかった上で、どうしていくかを決めるみたいなことをしていくといいかなー、という気づきにもなりました。

 

自分の弱みを認めることはとても難しい、と盲学校の弁論大会を見て思った。

この間、EテレハートネットTVだったか、盲学校の弁論大会の模様を放映していたのをたまたま見ていた。

 

そこには、弱視の女子高生が出ていて、こんなようなことを言っていた。

 

吹奏楽部でメトロノームの目盛りが見えなくて、ずっとそれが言えなかったけど、ある日勇気を出して友達に、目盛り見えないから合わせてくれない?と意を決して言ったら、いいよ!とさわやかに言われた。

そうやって、障害を周りが受け入れてくれたという素敵な経験をした今でも、白杖を持つことに抵抗がある。

でも、自分の障害を認めて、周りと素敵な心のハーモニーを奏でたい。

 

(だいぶはしょりました。ごめんなさい・・・)

とても力強い、素敵な演説でした。

 

それでも、私は率直にこう思いました。

そんな、見えてないなら見えてないって、早く言ったほうがよかったんじゃない?

周りも、どの程度見えてるかってわかんないし、それがわかんなかったら手助けのしようもないし。

白杖は、持ったほうが安全だし。

 

・・・と、他人のことならそう思えるんだな、という気づきにもなりました。

他人からみたら、早く認めればいいのにってことでも、

自分の弱みは、やっぱり認めるのは難しいんだなって思いました。

 

私には、弱視ほどのわかりやすい障害はないですが、

まあちょこちょこ弱みってあります。

 

例えば、なんだろう、小さい子どもがいるから時間的にタイトな仕事はできません、とかかな。

これを隠して、小さい子どもを言い訳にせずに気丈に頑張る、だってそうやって頑張っている人は世の中にたくさんいるんだから!という行動もできるけど、それはしんどいし、

だからといって、「私小さい子どもいます!無理は仕事はできません!」って声高に言うのも、なんか弱みを振りかざしているみたいな気がして、それはそれで気が引けるし。

その間で、どうしたものかなあって揺れて生きてます。

 

ちょっといい例が思いつきませんが、多分世間から隠して、無理してる弱みって、誰にでもあると思います。

でも、なかなかそれを外に出すのは難しい。

でも、外に出さないと周りにはわかってもらえない。

それで外に出さなくて「周りがわかってくれない!」って文句言うのも違うし(笑)。

弱みは、自分で認めて、ちゃんと周りにも伝えていくと、

生きやすくなるんだろうなと思いました。

 

でも、すごく難しいから、一歩一歩!

年賀状を書くか書かないかの線引は、「書きたいことがあるかどうか」にすることにした。

年賀状。

年賀状やめます!っていう声が、私の読んでいるはてなブログから聞こえてきます。

 

私も、減らそうと思っています。

 

もともとは、年賀状を書くのが好きでした。100枚近く書いてたことも。

(あれは、住所を印刷する機能のおかげですね・・・)

 

でもだんだん、書くのが億劫になってきた。

で、返事だけ書くという形式にしたりして減らしきたのだけれども・・・

もう少し減らしたいなあと思ったのです。しかも、すっきり明確にと減らしたい。

 

で、年賀状のリストを見て、このひとは出すのどうしよう、ああこっちはどうしようかな、とかぐちゃぐちゃ考えていました。

で、その時に、私の中にひとつの卑しい考え方が。

 

私は、「このご縁を繋いでおけば(年賀状出しておけば)、将来トクがあるかどうか?」

を基準に、出す出さないを決めようとしていたのです。

 

なんか、この人と連絡とっておけばトクがあるかも、っていう基準で選ぶのって、なんだかさもしいし、トクがなければソンした感じになってなんか不幸せだし。

 

そもそも、私が年賀状を減らしたいと思ったのは、

それが、手間だからということ以上に、

「書くことがない」「書くことをひねりだすのがめんどくさい」というのが理由だったのです。

 

いつも、「今年は会えたらいいね」とか「お元気ですか?」とかしか書けないところをいろいろ無理やり書いてた。

さらに、そのお相手からは、「今年は会えたらいいね」とか「お元気ですか?」とかしか書かれないことも多いという・・・

この無意味さに嫌気がさしたのでした。

 

そして、いざとなったら連絡くれる人はくれないし、くれないひとはくれないし、

それは逆に私だって同じ。

連絡するときはする。しないときはしない。年賀状には関係ない。

 

ということは、基準は簡単。

「書きたいことがある人には書く。何もなければ書かない。」です。

 

そうやって絞ると、2~3人くらいになりそうです。

その他の方には、

来年からは年賀状での挨拶は失礼します、

今後はメールかFacebookにてご連絡いただければ幸いです、

今後共よろしくお願い申し上げます、

というような文章を今年の年賀状に入れて、

来年からは送らないということにしたいと思います。

 

なお、親戚は別です。それは送る必要があるからです。